いきぺでぃあ

博士過程には進まない。大学職員としてオリンピックをサポートする。




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博士過程には進まない。大学職員としてオリンピックをサポートする。

大学職員としてオリンピックをサポート。原動力は、自分の「好きなこと」から。

小林優希

大学の職員で主に、オリンピックをサポートする仕事をしている小林優希さんにインタビューをしました。何を基準に仕事を選択し、自分の気持ちをどのように行動に移してきたのかを教えていただきました。自分の気持ちと向き合って生まれた哲学は「将来よりも今を大事にする」

 

高校時代

Q.高校時代はどんな学生でしたか?

高校自体は県の進学校でしたが、その割には勉強せず、柔道を3年間みっちりやっていた高校生活でした。部活はとても弱くて、私が入ったときはまだ姉が一人いましたが、姉が卒業してからは、女子は私一人で、男子は4人とかでした。

Q.なぜその高校にしたのですか?

勉強も柔道もしたかったのでその学校に行きました。地元で柔道が強いところは少なかったですが、そこの学校にはすごく熱心な先生がいたし、勉強もできるってことで受験しました。

Q.高校生活で悩んだことはありますか?

そんな深刻にはなかったですね。強いて言うなら、「今日はどんな練習メニューかな~」くらいでした。勉強したいと言っておきながら、「すいません、一週間前の宿題です~」みたいに宿題も遅れて提出していました。そこまで深刻な悩みはなかったです。

Q.進路を決める上で「こうなりたい」というビジョンはありましたか?

小さいころからやりたいことが特になくて、将来何がしたいとかもありませんでした。

Q.どのような基準で大学を選んだのですか?

高校最後の試合が私的にすごく不甲斐なくて、私の中で「これは辞めれん。」となったので、競技を続けられて、勉強もできる大学という基準で決めました。その先で将来何になりたいかは決めずに、進学しました。

Q.決める時に不安や迷いはありましたか?

ここが決まらなかったらどうしようかなってくらいの不安はありました。でもそれなりに勉強もしていたので、「何とかなるだろう」と思っていました。

Q.そもそもなぜ柔道を始めたのですか?

父の影響です。父がずっと柔道していて、中学校の教員で柔道部や外部の少年柔道教室も見ていて、私も小さいころからそこに通っていました。5歳の時に始めてそれから抜けられなくなったというだけです。 

Q.やめようと思ったりしたことはなかったのですか?

一回小学校6年生の時に父が「小6までやったら中学校は別に(柔道を)してもしなくてもいいよ」と言ってくれた時は悩みました。

Q.それでも続けたのですか?

小6の最後の県大会で男の子に負けて「なんであんなのに負けちゃったんだよ~」と思って、やっぱり柔道を続けることにしました。

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