
思い立ったら即行動!必ず周りに見てくれている人がいる。
栗原 正明(エース)
山梨県北杜市でプロアスリートとして活動しているエース栗原選手にインタビューしました。周りの人との関係の築き方、夢を実現する方法を伺いました。夢を実現するための哲学は「周りに自分の夢を言い続けること。」
高校時代
Q.高校生の頃は、どんな高校生でしたか?
部活がメインの硬派な高校生でした。高1・高2の時は、陸上もちょっと停滞気味になってしまったんですけど、部活だったので一応参加はしていました。あとは、とりあえず「目立ちたい」「人を笑わせたい」と思っていたから、文化祭のお笑いライブをやったりとか、そういった高校生でした。
Q.すごく悩んだことはありましたか?学校が嫌なこととかってありませんでしたか?
勉強が出来ないという悩みはありましたけど、人間関係では男子校だったのもあってみんなでワイワイしてたので悩みという悩みはなかったです。笑
Q.高校生の頃は、「こんな風に生きたい」というようなビジョンみたいなものはありましたか? 進路についてどんなことを考えていましたか?
ずっと教員になりたいと思っていました。教員って親以外に子供とふれあう時間が一番長いから、すごく「いいな」と思う職業でした。
Q.それはいつ頃から思っていたんですか?
小学生の頃からです。小学生の頃の卒業文集には、「アスリートの先生になる」と書いていて、当時は走るのが好きだったのと併せて、教員になりたいと思っていました。『みにくいあひるのこ』の中で、教室の真ん中の教卓で、先生がキラキラしていたので、太陽みたいな存在でいいなと思っていたんです。
Q.明確に教員になりたいと思ったきっかけになった先生とかっているんですか?
陸上で伸び悩んでいた頃に、「こっちだよ」ではなくて、「これはどうだ?」というように道をつくってくれる良い先生に出会って、やっぱり教員がいいと思ったんです。教員は道標をつくってくれるものだと思っています。
Q.先生のことを嫌いになったりは、しませんでしたか?
嫌な先生もいました。でもそういった先生たちに対しては、逆に「こんな先生にはならないようにしよう」と思いました。
Q.進路選択をするとき、何か迷ったり不安になったりしたことはありましたか?
当時は教員になりたいと思っていたので、教員になるというゴールに辿り着ければ、どういった道を選んでも変わらないだろうと思っていました。
Q.受験はどうでしたか?
中高エスカレーター式の学校だったので、全然勉強していなくて、基礎学力がかなり欠如していました(笑)高3の時に塾に通いはじめて、一日10時間ぐらい、本気で勉強しました。
Q.どんな大学を受けたんですか?
最初に大東文化、次に順天堂を受けんですけど、両方落ちました。さすがに焦りましたね。そして最後に国士舘を受けて合格しました。だから受かったところに行ったという感じです。教員になるというゴールまで辿り着ければ、どんな大学に入ろうと変わらないと思っていましたので、決断は早かったです。
Q.好きなことや趣味などを考慮して進路を決めましたか?
中学からは行っていた陸上を続ける気はなく、教員免許が取れるところを基準に学校を選びました。
Q.なんでですか?
陸上の800メートル2分という壁を、恩師のおかげで切ることができた時に、「ついに終わった(乗り越えられた)!」という気持ちが強かったのもあり、大学からは、部活の顧問が行っていたトライアスロンを始めようと思っていました。
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