こんにちは!
今年度から、HONKI Universityの新たな企画として「湘南のHONKIな人」を本気で紹介していきます!
湘南エリアにはHONKIな人が多くいらっしゃるのですが、実際に僕達が関わらせていただき、この人はHONKIすぎる・・・と感じた方にがっつりインタビューさせていただく企画です。
記念すべき1人目はダイビングインストラクターであり、NPO法人パシフィックビーチクラブの代表理事であり、アウトリガーカヌーの選手としても活躍し…
と、多岐にわたって活躍されている塩澤正光さん。
塩澤さん、話を聞けば聞くほどぶっ飛んだ人生を歩んできたことがわかりました…!
この記事では、そんな塩澤さんのHONKIなぶっ飛びエピソードから人生で大切にしている価値観まで、たっぷりと紹介していきます!!
概要
3.「自分の仕事、業種に自信持って、それに関しては誰にも負けない」
ぶっ飛んだ人生を突き進んできた塩澤さんですが、東海大学卒業後、最初に就職したのは商社。
その当時はバブル真っ盛り、会社に対しての不満は全くなかったそうです。(4月に入社して2か月働いただけでボーナス8か月分、みたいな時代だったらしいです。今では考えられない時代ですね…)
塩澤さんはその後、順調に商社でのサラリーマン生活を続けていきます。
が、就職して3年経った頃、突然塩澤さんはその商社を辞めてしまいます…!
その時の様子を塩澤さんはこう語ってくれました。
”その時ちょうどJリーグ開幕の年なんだよ。で、東海(大学)ってサッカーもすごい強いからJリーグ観てても同級生の同じクラスのやつがいっぱいいたわけ。それ観てて俺嫌になっちゃうわけ、サラリーマンやんのが。”
…Jリーグ観てたらサラリーマンやるのが嫌になった!?
そう思った次の日には「俺の同級生がみんな活躍してるから…」と上司に会社を辞めることを伝えたそうです笑
その後塩澤さんは自分自身の直感を頼りにどんどん突き進んでいきます。
”俺もまあプロの道は無理だとは思ったんだけど、身体使いてーなと思って、辞めてオーストラリア行っちゃったんだよね。”
商社を辞めてオーストラリアへ単身飛び立っていった塩澤さん。
オーストラリアでどうしてもオプショナルツアー(旅行の自由行動時間に希望者が別料金を支払って参加する観光やアクティビティなどのこと)に参加したかったそうですが、観光客向けなので非常に高額だったそうです。
そこで選んだ仕事はオプショナルツアーのバスの運転手。
なぜならバスの運転手になればタダで参加できたから。笑
しかし当然のことながらオーストラリアのバスを運転できる免許なんて持っていません。
そんな状況となった塩澤さんは…
”そこで人生初めて英語の勉強するわけよ俺は。猛勉強。で、そこで「あ―テストくらい学生時代に受けてればよかったなー」って思ったよ。「先生ごめん」と思ったよ笑”
晴れて免許を取得し、オプショナルツアーのバス運転手となった塩澤さんですが、もちろんバスの運転手だけやって日本へ帰国したわけじゃありません。
”最終的に俺はツアーガイドになるわけよ。無敵になるわけ。自分でバス運転してツアーガイドもやって。”
自分でバス運転してツアーガイドもやるって、確かに無敵ですけど…笑
しかもその無敵っぷりはどんどん加速し…
”もともとダイビングにも興味あったし、オプショナルツアーでダイビングのリクエストがすげー多かったの。だから、俺水泳も得意だったからダイビングのインストラクターになっちゃたの。オーストラリアで。それがまた英語だから、超勉強した。”
そのような生活の後、日本へ帰国した塩澤さんですが「身体を使いたい」という思いと「通勤が嫌」という思いから、商社には戻らずダイビングショップを始めます。
ですが塩澤さんは、おとなしくダイビングショップを経営するだけでなく、直感に従ってまたまた違う方向へ進んでいきます。笑
”冬は暇じゃん、ダイビングの仕事って。だから冬やべーなと思って。俺冬潜るのも嫌で。冷たいじゃんやっぱし。”
確かに寒そうですけど、海が好きでも冬に入るのは嫌なんですね笑
そんな時、スノーボードのビデオを観ていたら冬の仕事をひらめいたようです。
”サーフボードみたいなの乗ってさ、こうくだってくるビデオ見たときに「なにこれすげー面白そうじゃん」ってなって。すぐアメリカの友達に連絡して、一本送ってもらって。”
そして塩澤さん、とんでもない行動に出ます…
それが…スノーボードスクールを始める!!
スノーボードスクールを始めるために色々な所へ企画書を送ったものの、ほとんど返事がなかったそうですが…
”木島平村だけ1個使ってないリフトがあるから、そこでやってみないかって形で連絡が来てさ。 すぐ行って、そこでスノーボードスクール始めんだよね俺。”
「面白そう!」って思ったらすぐに始めてしまう塩澤さん、ハンパない行動力です!
今までスノボの経験一切ないのに「面白そう!」ってだけでいきなりスノボのスクール始めちゃうって、ぶっ飛びすぎじゃないですか!?
いきなりスノボスクール始めるってだけで十分ぶっ飛んでるのに、塩澤さんのスノボスクールにはさらにぶっ飛んだエピソードが。
それが…スノボ経験0なのにオリンピアンを育てる!!
塩澤さんが始めたスノーボードスクールはオリンピアンが出るほど盛り上がったそうです!!
もうこの話聞いたときは驚きを通り越して大爆笑でした。笑
そしてその後、塩澤さんはスノボの道をひたすら歩んでいく…
なんてことはありません笑
”山も海もそうなんだけどさ、なんか自然と弟子みたいなのができんだよ。好きなやつが。で、もうそういうやつらに任して、俺はもう飽きたから茅ヶ崎帰るみたいな…”
オリンピアンを育てたにも関わらず、スノボスクールをさらっと辞めてしまいます。
しかも理由が飽きたから。
もう本気でクレイジーすぎですね笑
スノボスクールも手放し、専門学校でダイビングを教えるなどして生活していた塩澤さん、ハワイへ観光へ行った時に運命的な出会いが。
出会ったのがこれ「アウトリガーカヌー」です。
”アウトリガーカヌーがあって。もっとムキムキな連中がガンガン漕いでて、これすげーじゃんみたくなったんだよね。”
またまた「これすげーじゃん」っていう直感だけで新しいことを始めてしまいました。
日本に帰国後、とりあえず仲間を集めてハワイからアウトリガーカヌーを買ったそうです!(お値段なんと300万円!)
そして茅ヶ崎アウトリガーカヌークラブ(COCC)が発足します。
「これすげーじゃん」という思いだけでアウトリガーカヌーを始めた塩澤さんですが、やっていくうちにだんだんと、アウトリガーカヌーの歴史的な背景を知っていきます。
もともとは太平洋諸国で移動手段として作られたアウトリガーカヌーですが、移動手段として発展しただけではないそうです。
”例えばさ、すごい荒れてる海なんだけど、向こうの島の人たちにはもう塩がなくてさ、なんとか届けてあげたいってなるわけじゃん? するとすごい荒れた海を漕いでいくわけだよ。 そうすると塩と同時にその人たちの気持ちも当然伝わるわけじゃん。 だって静かなとこじゃないわけだから。命がけで来てくれてるわけだから。 で、そこでももちろん気持ちが伝わる、ものだけじゃなくて。だから色んなことを伝える道具なんだよね、アウトリガーって。”
アウトリガーカヌーが「気持ちを伝える道具」だということに気付いた塩澤さんは、「自分たちも誰かに何かを伝えなくては」という思いが芽生え、茅ヶ崎という土地柄を活かし、より多くの人がオーシャンスポーツを楽しめるようにと「NPO法人 パシフィックビーチクラブ」を設立します。(地域性を活かしたスポーツクラブにのみ認められる総合型地域スポーツクラブというものにも認定されているそう! )
そんな塩澤さんがアウトリガーカヌーを通して伝えたいことのまず1つは「海の大切さを体感すること」。
固い言葉で言うと「環境問題」ですね。
”海に出てその価値を伝えたいよね。地球の資源の価値は伝えたいね。多分、海に出て漕いでればその価値ってわかるから。当たり前のことなんだけど、それがなくなるんだからさ、このままいったら。例えばCO2の排出もそうだし。それに繋がる温暖化もそうだし。あとごみの問題もそうだし。でもそれってなんか体感しないと。言ってたって無理でしょ。CO2が何パーセントで、南極の氷がどれくらい溶けててなんて言ったってさ。”
海の資源の大切さや、海の綺麗さ、そしてそれがこのままだとなくなってしまうことを実際に海に出て体感して欲しいと塩澤さんは言います。
言葉で語るのではなくてあくまで体験を通じて。
そして特に子どもにはそれを体感して欲しいそう。
そのために塩澤さんは「小笠原キッズチャレンジ」といって毎年子どもたちを小笠原へ連れて行っているそうです。
”100人連れて行ったら5,6人はいるんじゃないかな、その価値(海の価値)に気付くやつが。あとは子どもをなんで連れて行くかって言うと、子どもは絶対その価値っていうのはわかんないわけ。だけど大人になった時にわかんだよそれが。それはもう確信できてるから。”
今すぐにはわかってくれなくても、行った人全員がわかってくれなくてもいい。
少しずつでも、海って大事だよ、地球って大事だよってことが伝わっていって欲しいってことですね。
そして塩澤さんがアウトリガーカヌーを通じてもう1つ伝えたいこと。
それは「人と調和すること」。
言い換えれば「他人の立場に立って考えること」。
6人で1つのボートを進める競技であるアウトリガーカヌーでは他人の立場から物事を考えて、人と調和していくことが非常に重要だそうです。(僕たちが大好きなラフティングについても同じことが言えます!)
”カヌーやラフティングは1人だけ上手い奴がいても結局ダメなわけ。全員で解決しなきゃ、チームの力を最大化しなきゃなんだよね。年齢とか性別とか関係なく。もちろん喧嘩することもあるんだよ。でも喧嘩したってしょうがないことに気づくんだよね。喧嘩したって海の向こう側につくわけではないんだからさ。自然の中だから、命に関わって来るじゃん?遭難したり、死んだりすることもあるんだよ、喧嘩を続けていると。だから、そこで人の本質が出るわけ、そいつの。だから(アウトリガーカヌーは)めちゃくちゃ人生なんだよ。”
喧嘩してても前に進まないって、ラフティングに取り組む僕たちも非常に共感できます!!笑
喧嘩してても前に進まないから、相手の立場に立って、相手と調和しながら前に進んでいく。
塩澤さんはこの姿勢はアウトリガーカヌーだけでなく人生においても重要だと言います。
「塩澤さんが人生において大切にしていることは何ですか?」という問いにも「調和が大切」と即答していました。
塩澤さんのこの「他人の立場に立って物事を考える姿勢」、実は子どもの頃から変わっていないようです。
塩澤さんと「幸せ」について話している時、ご自身の過去を振り返ってのこんなエピソードが。
”不良とか散々やってたけどさ。例えば警察にパクられてさ、こっぴどく怒られるじゃん。その当時はさ、警察にこっぴどくしごかれて最終的には親が迎えに来るわけ。でも親が迎えに来ない子どももいるわけ。そんな子どもは一晩警察署で泊まるわけさ。そんな時にすごい思ったよね。最終的には、親が迎えにきてくれてさ、家で当然しごかれるんだよ?でもさ、それで済むわけじゃん。そんなことを思うと、親がいるだけで幸せだなと思うよね。”
…こんなこと思えるなんてもはや不良ではない気がしますが!
親が迎えに来てくれない子どもを見て、「そのような人たちと比べると自分は幸せだなー」と感じられたようですね。
また、塩澤さんがタイへ行った際のエピソードからもこのような姿勢が滲み出ていました。
”タイは今じゃあ国際都市になってて、日本とも親交が深くて俺たちが行くと楽しいとこもいっぱいあるのね。でもゴミ拾いをしてる人の娘も孫もゴミ拾いしかできなくて、そこから脱け出せなくて…。だから夢を持てるだけですごい幸せだなと思うよね。だって、親子の会話で、「将来お前何になりたいの?」っていう会話がないんだよ?”
確かに、そのような人たちを実際に目の前で見ると感じるものって多いですよね。
実際僕たちもウガンダ行って考えさせられたことって非常に多かったですし。(2018年2月僕たちがウガンダに行った訳&全参加者の感想)
外国に行くとこのようなことを強く感じるため、僕たちにも外国へ行くことを強く勧めてくれました。
さらに塩澤さんは日頃ニュースを見ていても自分が幸せだと感じるようで、(目で見たものしか信用しないため、本は読まずにニュースをよく見るらしく)
”ニュースとかすごい見ちゃうし、自然や環境問題のことだったりさ。だから、(周りと)比べると自分って十分幸せだなって。だって今飛行機で5、6時間行ったとこで戦争してるんだぜ?そこにいる人たちのこと考えるとさ、もうこのように”幸せ”について語れるってさ、それだけで十分”幸せ”って感じするよね。”
”もしかしたら、それ(幸せ)は後付けかもしれないよ。過ぎてみてあれって幸せだったんだな〜って。例えばさ、家族といる時とか、友達といる時ってさ、幸せだとは思うけど、格段幸せとは思わないじゃん。でもさ、ニュースでシリアでの空爆とか見て…。同じじゃん?場所が違うだけで。同じ時間過ごしてて、でもいきなり、隣にいた家族がいなくなるわけじゃん。そんなニュースを見たら、本当に自分は幸せなんだなって。息子が「行ってきます」とか言ってるわけでさ。そんなのを見ると、幸せって後付けなのかなとも思うよね。”
人の立場に立って、「周りと比べると自分って幸せだな」と感じられる塩澤さん。
インタビューの中で語ってくれた、次の言葉に塩澤さんの全てが詰まっているのだと僕は感じました。
”日本では、死ぬわけではないんだから。世界にはそんなことも言ってられない子どもたちなんていっぱいいるわけだから、そんなこと思えば俺にはなんとでもないね、世の中のほとんどのことは。”
この考え方こそ、塩澤さんが自身の直感に従って、いきなり会社辞めてオーストラリアに行ったり、経験0でスノボスクール始めたり、ぶっ飛んだ行動を起こせるパワーの源なのだと思います。
「自分は幸せだ」と実感できるからこそ、「大体のことはなんとでもない」と感じ、塩澤さんは自分の直感に従って突き進むことができるのではないでしょうか。
3.「自分の仕事、業種に自信持って、それに関しては誰にも負けない」
そんな塩澤さん、仕事選びの基準は?という質問にも
”仕事はもう直感。だから普段からずっとなんか面白いことないかなって思ってるタイプ。”
と断言していました。
しかし、仕事に対して大切なのは直感だけではないと言います。
”ファーストインプレッションみたいな第一印象って重要だよね。そこでぐっとのめりこんで続けられるかどうかっていうの。だけど仕事とかってなったらやっぱり最低2年か3年はやったほうがいいと思うよ。”
就職してすぐに仕事を辞めてしまうのではなく、その仕事が本当に嫌いなのか、長い期間を経て確信が持てるまで続けることが重要だそう。
実際、塩澤さんの子どもがコンビニでアルバイトをしていた際には「コンビニのバイトを辞めたい」とすぐに言い出したそうですが「本当に嫌かどうか確信をつかんでもらいたい」と思い、そのバイトを続けさせたと言います。
さらに、「仕事」としてやるからには、ただ会社に行くだけではなく、プロとしての意識が重要だと言います。
”自分の仕事、業種に自信持って、それに関しては誰にも負けないっていう。それでお金もらってるんだって。会社に行ってお金もらってるんじゃないよ。そこで、自分がいくら、何を生み出してるのかっていうことだよ、プロフェッショナルってことは。”
仕事に関してはただ単に会社に行くだけではなく、その仕事のプロとして自分は何ができるのかを考え、その仕事が好きか嫌いか、確信が持てるまでやり切る姿勢が非常に大切だということですね。
確かに塩澤さん、オーストラリア行ったりスノボスクール始めたりしたのもすべてきっかけは直感ですが、どれも長い間続けていて、確信が持てるまで「やり切って」から次のステージに進んでいますね。
塩澤さんの話を聞いている限り、この「やり切る」姿勢に関しては、自身が子どもの頃から一貫しているようです。
それは自身が小学校から大学まで取り組んでいた水泳の話からもわかります。
この水泳の話を聞いた時も、「塩澤さん昔からぶっ飛んでんな!」と思わずにはいられませんでした。笑
塩澤さんが水泳を始めたのは小学生の頃、親に無理矢理スイミングスクールへ連れていかれたのがきっかけだそうです。
しかし反発心旺盛な塩澤さん、小学校6年生の時に大事件を引き起こします。
それが、新潟の合宿から1人で逃走。笑
きつすぎて合宿所を抜け出して帰ったらしいです!
六日町という新潟の雪深い道を、1人で歩いて帰ったなんてクレイジー過ぎます!!
そんな塩澤さん、中学生になってもこの反発心を活かしてしっかり不良の道を突き進んでいました。
当然部活にも入っていなかったそうです。
ところが突然、学校の制度で在校生は必ずどこかの部活に入らなくてはならなくなってしまいました。
不良時代の塩澤さんにピンチ到来です。笑
ですが中学校の対応が本気で素敵過ぎました。
なんと、塩澤さん1人のために水泳部を作ってくれたそう!!
(のちに部員は数名に増えたそうです)
そして大会に出るようになり、不良スイマーとして快進撃が始まります!
”俺しかいなかったの部員が。1人しか。一中(茅ヶ崎第一中学校)の水泳部って。で、水泳部があるから今度その大会に出られるわけよ。一中から確か…市の大会に出るんだよね。市の大会は、もうとにかくぶっちぎりで優勝して、県の大会でも優勝して。その次関東大会ってのがあるんだけど、関東大会でも優勝して、初めて全国日本中学生大会ってのに行くわけ。中学2年の時に。”
不良スイマー、全国大会出場。笑
中学校2年生で全国大会に出場した塩澤さんですが快進撃はそこで終わり、全国大会では予選敗退。
すると心を入れ替え、不良を辞めて水泳に打ち込み始めます…!
そんな中、中学3年生で出場した全国大会で日大豊山高校から声がかかります。
そしてスポーツ推薦で進学先を決定、日大豊山高校で水泳一筋の生活が始まります。
しかしさすがは水泳の名門校である日大豊山高校、全国レベルの実力だった塩澤さんでさえ、3年間ずっと補欠だったと言います。
高校時代の塩澤さんは負け続けてしまいます。
そして、附属の日本大学には進学しない決意をします。
”結局同い年だし、同じ飯も食ってて同じ練習もしてるからの負けるのが納得いかなかったわけよ。でもそのまま日大行くと、オリンピック選手もいっぱいいて。そうすると環境変えられなかったらチャンスは回ってこないから。だから俺は日大に行かないで自分で東海行ったんだよね。ちょっと自分にチャンスを与えたくて。”
自分にチャンスを与えるために東海大学へ進学した塩澤さん、見事そのチャンスをものにしていきます。
「東海大学ではスターだった?」という質問に対して
”うん、そういうこと。だから種目でも俺が一番速かったし。4年生の時は主将だし。”
…かっこよすぎです!!
さらに、高校時代に負けていた人全員に勝ったそう!
そして大学を卒業し、ぶっ飛んだ人生を歩んでいくわけですね。
水泳話、非常に長くなりましたが塩澤さんの「やり切る姿勢」、伝わりましたかね!?
これだけ多くのぶっ飛んだエピソードを持っている塩澤さんですが、それらの行動はやはり、「自分は幸せだ」と実感できること、そして「大体のことは何とかなる」という確信に基づいているのだと思います。
食べ物にも困らず、住むところにも困らず、近くに家族がいて、自分の好きなことができて、という小さな幸せ(でも誰にでも当たり前にあるわけではないこと)の積み重ねが今の塩澤さんを作り上げているのだと。
実際に話してみるとぶっ飛んでる感がガッツリ伝わってくる塩澤さんですが、ぶっ飛んでる感の裏にはきっとこういう積み重ねがあるんだろうなって思うと、なんか勝手にしみじみした気持ちになります!笑
昔から数々のぶっ飛びエピソードを持っている塩澤さん、これからもぶっ飛んでいくこと間違いなしです!!
これからもどんどん湘南を盛り上げていってくれるのではないでしょうか!?
こんな素敵な人がいる湘南、やっぱり激アツだなと今回のインタビューを通して実感しました!!
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