大学時代
Q.進んだ先はどうでしたか?
国士舘大学の多摩校舎は体育学部しかないので、洗練された選手が集まっていたんです。「すげーやつが集まってるなー」と思っていました。キラキラ感というよりは、より洗練された場所、という印象です。
Q.どんな生活をされてましたか?
単位を取るためと、教員になるために授業を受けていました。サイクルとしては…自宅から学校まで35キロの距離を自転車で通って、授業で休憩、バイト先まで自転車で通って、バイトして、また自転車で帰る、の繰り返しでした。
Q.すごいですね!部活はやっていたんですか?
トライアスロン部に入ってはいましたが、部活の練習は週2、3回だけ。スイムの練習は地元のプールで月曜日と木曜日しかしていませんでした。練習自体はゆるゆるなのに、加えてその練習もほぼ自己流でした。
Q.結構ゆるい感じだったんですね。
大学1・2年生まではバイトも遊びも練習もしていたので、何かの大会に出るとなっても「旅のついでの大会」みたいな感覚でやっていました。でも、大学3年生になってから結果を出せるようになってきて、「俺はトップ選手なんだ!」と自覚し始めたんです。
Q.何かその時に起こした行動はあるんですか?
遊びとバイトと練習のうち、何かを捨てなきゃ「俺が壊れる」と思いました。そこで遊びを捨てて、バイトと練習を選んで、本気で練習を始めることにしました。
Q.人間関係などはどうでしたか?
それぞれ本気で取り組むスポーツがあるので同級生とは同じ時間を過ごすことは少なかったですね。トライアスロン部に入った初日の自己紹介で、「エース栗原です」と名乗ったり、ボビーオロゴンのモノマネとかして、先輩との距離を縮めていました。
Q.イメージと違うところはありましたか?
学力的に、自分とのレベルが違いすぎたので、驚きました。
Q.すごく悩んだこととかはありましたか?
大学3年生の後半から「結果を出したい」という思いが強すぎて、練習のやり方を間違えたままひたすら自分を追い込んだ練習を重ねていました。間違えているのにやり続けるという、悪の循環が続いて、結果のために練習をしていたのに、結果が残らなくて辛かったですね。加えて大学院での研究も忙しく、結果が残らない理由を研究のせいにして処理していました。
Q.大学に入って、生き方に関するビジョンは明確になりましたか?
大学4年生くらいから、「プロアスリートで活動していきたい」と思って、自らの能力の研究も含め大学院へ進みました。
Q.実際には、どうやって卒業後の進路を決めましたか?
大学院の教授に「山梨で教員を募集している」というお話をもらいました。当時、スポーツ業界での営業職か教員かで迷ったんですが、営業だと過去の栄光がずっとついて回ってくると思い、またそれがすごく自分自身では惨めだったので、山梨という誰も自分を知らないところで、0から第2の人生を始めようと思いました。
Q.就活はどうでしたか?夢と安定とかについて考えましたか?
教えることに対しての不安はなかったです。教員になっても、「昔の夢をここで実現できるんだ」と自分に言い聞かせていました。その時は、自分の過去の栄光が眩しすぎて、目を背けたいという思いもありました。
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