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アーティスティックな精神科医

人と違う方が、面白い

戸田 真

精神科医として、長野県でクリニックを開かれている戸田さんにインタビューしました。浪人→美大→医学部という異色の履歴を持つ戸田さんに、物事の選択の仕方を伺いました。彼が患者さんと日頃向き合う中で大切にされている哲学は「逆転の発想や非常識的な価値観を大切にする」ことでした。

高校時代

Q.高校時代は楽しくなく、充実もしていなかったということですが、具体的にはどんな感じだったんでしょうか?

「自分は劣等生だ」という非常に強いコンプレックスがあったんです。生徒会活動などに関しては多少は頑張った部分があるんですけど、高校時代のほとんどは、あまり自分らしく生きられなかったと思います。

Q.それは何故ですか?

そもそも中学の頃は優等生でいることが自分らしいことだと思っていたんです。でも、高校になってからは「自分らしさってなんなんだろう」という疑問が絶えずあって。それの答えが見つからなかったっていう時代だったので暗い時代だったなあと思いましたね。

Q.親御さんに反抗したり、あまり勉強もしなかったそうですが、どうしてだったんでしょうか?

たぶん親への反発=自暴自棄になってたんだと思います。親の言うことを聞かないことが、自分ができる唯一の親に対する抵抗みたいな形だったと思います。

Q.精神科医という仕事をしようと思ったきっかけは何ですか?

もともと小さいころから医者にはなりたかったです。私の父親が大学病院の勤務医をやっておりまして、父親に対する憧れみたいなものが小さいころからあったんです。白衣をなびかせながら、さっそうと歩いてくる姿が目に入った時に、子ども心ながら「かっこいい!」と思ったんですよ。

Q.そういう形で高校時代は勉強もされなかったということですけど、そこから浪人時代までずっと医学部にこだわり続けた理由は何だったんでしょうか?

そこは複雑ですけども、やはり小さい頃から医者になりたいとずっと心の片隅で思っていたんですね。そこに親の意向がかなり入っていたにせよ、やはり自分の中の医者に対する憧れが全く消えたわけではなかったので、受けてみたんです。でも全然勉強してなかったので、全く受かる見込みはありませんでした。

Q.それでも、受け続けたんですね。

はい。親は何も言わずに自分の進みたい道に進めばいいから、と言ってくれましたから。一応受かる見込みの無い医学部を受け続けたということですね。

浪人時代

Q.3年も浪人するってあまり経験する人がいないと思うのですが、浪人生活の最中はどういったモチベーションだったんですか?

その当時はあまり悲愴感はなかったんですね。確かに身分がないっていう意味では不安はありました。でも、「いつか、なんとかなるだろう」程度に考えて過ごしていたような記憶がありますね。

Q.3年間、ずっと同じ心持ちが続いたのですか?

そうですね。医学部にいつかは入りたいと思っていたので、現役の高校時代よりは勉強を少しずつしていましたね。でも、やっぱりレベル的にはまだまだ全然足りない様な状況で3年間過ぎてしまいました。

Q.浪人生活を3年間終えた後に、美大に行こうと決められたそうですが、どうして美大に行こうと思ったんですか?

2つ理由があるんです。 1つは、元々絵は大好きだったんですね。小さい頃から絵を描くのが好きで、美術の授業も好きだったし学校で絵のコンクールがあれば必ず出していました。描くのも好きだったし、見るのも好きだったんです。

Q.そうだったんですね!

もう1つは、最後のセンター試験ですね。3回目のセンター試験の結果が出て、もう絶対医学部はどこも無理だとわかった時に、自分が次にしたいことはなんだろうと考えたんです。本当に憧れていた医学部がダメならば、好きな美術の道に行こう、ただそれだけの単純な発想ですね。

Q.元々浪人している間に、好きな美術の道を進路にするかも、と考えていたのですか?

センター試験を受けた後に「こりゃダメだ」、と思うまでは全く考えていなかったです。「3年も受け続けて医学部がダメなら、4浪はしたくない。じゃあ今度は美術でいくか」と。今考えると何も考えてない発想ですよね。あまり深刻に考えていなかったですね。本当に自分の気持ちに素直に従ったっていうだけです。

Q.話によると、河合塾の先生に絵を見てもらったり、画集を見ながら自分で評論を書くといった対策を、センター試験が終わってから残りの2カ月間にやって、いきなり東京藝術大学を受けられたとか・・・?

そうです。今考えると、当時はずいぶん破茶滅茶なことやったなと思います。でも、その時はものすごく真剣だったし、あまり悲愴感はなかったですよね。 むしろ絵も描けるし、 自分の好きな絵を毎日見ながら勉強できるので、医学部の勉強よりも面白かったですね。

Q.その時は、親御さんからはいきなり美大を受けるということに関して、何も言われなかったのですか?

そうですね。親には感謝しているんですけれども、決して進路のことに関しては何も否定しなかったですね。 その辺はありがたいと思っています。

大学時代

Q.大学に入って、どんな心持ちでしたか?

「3年間やってきた浪人生活をもうしなくていいんだ!」っていう解放感と喜びですね。それ以上に、どうしても親の顔色をうかがって生きてきたけれど、そこから逃れられるという開放感がありましたね。好きな絵の世界に飛び込んだことも、1つ大きな喜びでした。

Q.大学生活はどうでしたか?

芸大って学生にとっては天国みたいなところで、非常にゆるやかなカリキュラムだったんです。ですから、ほとんどはサンバの練習室にこもって、楽器を叩いているような4年間でしたね。浅草のサンバカーニバルなど、対外的な演奏活動もたくさんやりましたよ。

Q.「大学生活がいまにとって大事だった」と伺っているのですが、今の生活とはだいぶ違う事をされていますよね。具体的に、どう関わってくるのでしょうか?

芸大には、様々な価値観の人たちが集まってきているんですね。美術をやる連中なんていうのは面白くて、絶対に人と同じような生き方をしたくないっていうような人が揃っていました。例えば、自分が着ている服なんかも既製品を買うようなことはなく、自分で作っちゃったりしている人もいるんです。

Q.そういった人たちとの出会いが、今の生活と関わってくるということですか?

そうですね。精神科の仕事は、心を病んだ患者さんたちのお話を聞かせていただくというものです。多くの患者さんは、世間の常識やルールの中で生きていこうとしても、生きづらいと思って悩んでいらっしゃるんです。

Q.なるほど。

だから、むしろ逆転の発想や非常識的な価値観を持ちながら、患者様の話を聞かせていただくこと。それが精神科医にとっては非常に大事だと思うんです。そういう意味で、芸大での経験は、「柔軟な発想をしても良いんだ」と学ばせていただいたという点で、今の自分の中の非常に大事な基礎になっていると思います。

フリーター時代

Q.大学を卒業したときは、何をやりたいというのもあまりなかったのですか?

全く無の状態でしたね。

Q.フリーター生活はどのくらい送られたのですか?

4年間くらいだったと思います。何かやらなきゃな〜とは思っていたのですが。

Q.漠然と考えられていたんですね。

ある時、付き合っていた女性とお寿司屋さんで寿司を食べながらお酒を飲んでいたんです。そこで、お酒も入っていたので「やっぱり、俺医学部受けるわ」と思わず言っちゃったんですね。それがそのうち満更でもなくなってきて、再び医者への憧れが湧き始めたんです。

Q.辞めたとはいえ、意識の中に「医者になりたい」という気持ちはあったんですか?

あったんだと思います。親とも離れていましたから、親に言われて仕方なく受けるのではなくて、今度は本当に自分の心の中から医者になりたいと思って受験をする、そういう方向になってきましたね。

Q.医者になろうと思ってから、医学部に実際に入るまではどのくらいかかったのですか?

結局2年かかりました。

Q.自分が浪人していたときの内容とは、勉強する範囲が全然違っていたことはなかったんですか?

全然変わっていましたね。入試制度も変わっていたので、教科書を買いに行くところから始めました。だから今でも覚えていますけど、新宿の紀伊国屋書店まで、教科書をガールフレンドと一緒に買いに行った記憶があります。笑 できるだけ易しいのがいいってことで、大きな字のね、大判のやつを買った記憶があります。

Q.コツコツ努力するタイプではないとおっしゃっていましたが、医学部に受かるためにはコツコツ努力する必要があったわけですよね?

そうですね。ですから、特に受かる直前の最後の1年というのは、何かに取り憑かれているような、ちょっと自分でもなんて言ったらいいかわからないくらい、今までに経験したことがないような集中力の時間でしたね。

医学部時代〜現在

Q.医学部に入られたときに、最初皮膚科に入られたということなんですが、何故皮膚科だったのでしょうか?

皮膚科は簡単だし、儲かるという理由と、それから必ず各医局が新人を勧誘するんですけど、たまたま皮膚科がとても豪華だったという、ただそれだけの理由だったんです。(笑) それで安易に皮膚科に入ってしまったわけです。

Q.それでは、医学部に入る時は、自分が何科の先生になるというのは決めていなかったんですか?

少しはありました。皮膚科は全くなかったんですけど、一応小児科か精神科医はいいなと思っていたんですよね。ただ、やはりさっきのような理由で、安易に皮膚科を選んでしまったわけです。

Q.そのあと精神科に移局されたわけですが、そのきっかけは何でしたか?

皮膚科を2年やってたんですけどね、やっぱりやっててもどうしても外来の患者さんたちと話し込んじゃうんです。皮膚科ってだいたい診察って30秒で終わるんですよ。でも自分は、人とコミュニケーションをとりながらやる医者が向いているということを、皮膚科をやることで改めて認識したので、それで移ることにしたんです。

Q.今はどんな生活をされていますか?

7年前から自分のクリニックを開院しています。一日50人くらいの患者さんの治療をさせていただいています。

今だから思うこと・これからのこと・伝えたいこと

Q.やりたいことは最初から決まっていないといけないと思いますか?

どんな職業であっても大変なことだと思いますが、その大変なことを自分で実現していくためには、やはり本気で、自分で心からなりたいという強い想いや情熱はどうしても必要なんじゃないかとは思いますね。

Q.情熱さえあれば、いつ「なりたい」と思っても何でも大丈夫ということですか?

そうですね。ですから自分が生きていく中で、とにかく目の前にあるやれることを何かしらやっていくことによって、少しずつそれが繋がってみえてくることもあるんじゃないかなとは思いますね。

Q.受験勉強はご自身で何年もやられたと思うのですが、広く「勉強する」ということの意味は何だと思いますか?

すごく難しい質問だと思うんですよね。受験勉強っていう点で言えば、それを乗り越えていく精神力を身につけていける体験だと思います。でも、本当に学問に対して興味を持ってやるのが勉強だとも僕は思っています。

Q.そういう意味での勉強は、今でもされているんですか?

はい。例えば、最近同じ精神疾患でも、日本人固有のものがあると思い始めていて。そこから考えると、「日本人て何なんだろう」とか、「日本の文化ってどういうところからルーツがあるんだろう」とか、そういうことに興味が出るようになってきたんです。それで今、古事記からの日本の歴史の本を読んでみたりしています。

Q.「仕事」って何だと思いますか?

僕にとっては自分のアイデンティティそのものですね。自分が精神科医として生きるということは、自分らしく生きるということ、そのものだと思います。それからもう一つは、人のために少しでもお役に立てる役割を与えてくれているもの、そういうものだと思っていますね。

Q.何もやりたいことも興味のあることもない人がいたら、その人はどうしたらいいと思いますか?

「何も興味がない」とおっしゃっている方は、本当にそうなのかなと思うんですよね。多分色々と聞いていくと、実際は結構興味のあることって持っていると思うんですよね。ただそれを自分が意識していないか、もしかしたら考えようとしていないだけなんじゃないかという気がします。

Q.人には必ず興味を持つ部分があるということですね。

はい。そして今目の前ある、やれることをまずやってみるということが大事なんじゃないかなと思いますね。もともと何をやりたいかわからないという人たちであっても、とりあえず何か行動を起こすことで、ふっと「あ、俺ってそういえばこういうことやりたかったんだよな」ということに気づくことができるんじゃないかと思います。

Q.話は変わりますが、真さんご自身クリスチャンということで、宗教を持っていらっしゃいますよね?

一応ね。(笑)小さい頃から両親はプロテスタントのクリスチャンだったんです。ですから、大学の時に洗礼も受けたんですよ。ただそれ以来は、あまりちゃんと聖書も読まなくなっちゃったし、教会にもほとんどいかなくなってしまったので、今はとてもクリスチャンと言えるような人間ではない生活を送っています。

Q.自分が信じてきたことは今までの人生に影響がありましたか?

そうですね、不真面目なクリスチャンなんですけど、そのときそのときの人生の非常に苦しかった時期にやはり自分のキリスト教、神様に守られているという、何かそのような想いというのは、非常に支えになった気がしますね。

Q.今も信じていらっしゃいますか?

そこは難しいんですよ。神様のことは、私もお祈りはしますし、信じてはいるんです。ただ、僕はいわゆる普通のクリスチャンとは違うと思うんです。結構仏教なんかも僕のなかでは正直親和性があってなじみがあるんですね。

Q.面白いですね。

僕はキリスト教だけで全ての価値観を作っていこうとは思っていないし、そういう生活はしていません。これからもいろんなものに接していくことによって、「あ、これはいいな」と思うようなものがあればそれは取り入れていくつもりなので、クリスチャンというような意識はあまり今僕の中にはないんですよね。

Q.日本人の中では宗教がないという人が多いと思いますが、「信じるもの」は必要だと思いますか?

必ずしも必要ではないと思います。僕は今キリスト教的なものが支えになっていたり、禅的なものが癒しになっていたりしますが、それがあるから何も悩まずに生きていけるわけではないんです。宗教がいくらあっても、悩みは絶対に消えない。苦しみも消えない。最後は自分が自分を信じながらどう生きていくのか、だと思います。

Q.今ご自身では、「信じるもの」を持っている方が感覚的には自然ということでしょうか?

今はまだ僕の中でも「信じるもの」があった方がいいような気がしてそれを模索しているような状況です。毎日模索の連続ですね。もう毎日が疑問だらけだし、毎日これでいいと思ったことは一度もないのでね。でも、きっとこれは一生続くんじゃないかなと思いますね。

Q.今後のビジョンを教えてください。

僕はもともと結構飽きやすい性質で、よくこれだけ精神科医やれているなと自分でも思うんですけど、これからも精神科医は一生やっていくつもりです。あまり大きなビジョンは持っていなくて、できるだけ患者さんに一番近くで寄り添えるような精神科医でいたいと思っています。

Q.これから進路を考えていこうとしてる人たちに向けて、何か伝えたいことはありますか?

最後は、自分を信じるしかないと思います。必ずどんな人にも長所はあります。そこを信じて、少しでもやれることから始めていけばよろしいのではないかと思います。また、何をやるか考える時に、「人と違うこと」と「人の役に立つこと」という視点は大きなキーワードになってくると思いますね。

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