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私たちは今、誰かの生きたかった1日を生きている。

私たちは今、誰かの生きたかった1日を生きている

金生 展子

「生き抜く力」をテーマに、幼児・児童教室で様々なレッスンを行われている金生さんにインタビューしました。高校時代に一度死と向き合う経験をされ、そこから常にチャレンジを続けられています。彼女が病魔と立ち向かい、2度目の人生を歩み始めて感じた哲学は、「ただ生きているということが素晴らしい、今起きている事すべてに感謝」

高校時代・闘病生活

Q.高校時代は、どのような高校生でしたか?

最初はものすごい元気だったので、体操とかも得意で、必ず体育の時間は「金生、お前から走れ!」って言われるほどでした。でも高2になって、足がもつれて走れなくなったり、お昼ご飯も食べられなくなるということがありました。なので、念のため血液検査だけしたんです。

Q.結果はどうだったんですか?

白血病だということがわかって、即入院でした。それが16歳、高校2年生の春ですね。それから高3になるまではずっと入院生活でしたね。

Q.入院中は闘病生活、ということですよね?

はい。でも、最初は「やったー、学校休める」くらいしか思っていなかったです。白血病って聞いても、自分はすごく元気だったので、実感はあまりなかったんですね。

Q.そうなんですね・・・。

でもその後、頭の中で再発して顔面麻痺になったり、本当に死ぬような経験をしました。更に、入院して半年経ったときに、もう地元の福岡では助からないといって、神奈川の病院に行くしかなくなったんです。そのときから、真剣に命について考えるようになりました。

Q.それで神奈川の病院に行って、骨髄移植をしたんですか?

はい。神奈川に行ったら、自分よりもっと難しい状況の子がいっぱいいたんです。そこで出会った子どもたちからは、学ぶことが多かったです。

Q.そういうところでの会話の内容って、一般的な同年代の子がしているような会話とはだいぶ違うのでしょうか?

やっぱり全然違います。小児科だけではなくて、いろんな大人の人たちとも会話するから、多分生き方はみんなすごく変わると思います。大人になりますよね。

Q.それは何故なんでしょう?

痛みを知っちゃうからだと思います。「あたしのせいで家族のみんなも苦しむんだ」ってわかるんですよ。実際、難病になった子どもの親は4割が離婚するんです。お父さんの方が参っちゃうんですよ、精神的にも経済的にも。

Q.4割もですか・・・。

でもその時、「みんながそこに来るとまた生きる希望を持ったり、家族がひとつになったりできるような施設を作りたい」と思いました。アメリカに”Give Kids the World Village”(病気の子どもと家族のための、滞在型アミューズメント施設)というのがあって、それを日本に持ってきたいと思いました。

Give Kids the World Village 

Q.それが、高校生の頃に描いていたビジョンだったんですか?

「1回病気になって死んだはずの命が、今生きているということは、これは2度目の命だ」と思ったんです。でも、この命は亡くなった友達に生かされている命でもあると思っていたから、「今度は、この命を後悔しないように生きよう」と思いました。

Q.高校には戻られたんですか?

「戻っておいで」とは言われましたけど、退院した時、私は車椅子で・・・。結局高校まで通えなかったので、辞めました。

Q.その当時は、将来のことはどのように考えていましたか?

そのとき、「生きるってすごいな」と思ったんです。人は、これ以上の絶望はないという所までいったら、本当にただ生きていることだけが素晴らしいんですよ。そんな風に退院して一番感じたことは、「寄り添ってくれた母親の役に立ちたい」ということでした。

Q.お母さんの役に立つ、ですか。

なので、「家に帰って一緒に桜餅つくりたいな〜」とか、「家にあるレモンの木からレモンをとって、何か作りたいな〜」といったように、些細なことや小さな幸せが夢でした。

Q.小さな幸せが夢ですか。

あとは、勉強したいと思っていました。元気な時は何にも思わなかったのに、「あ、勉強って面白い、学ぶって楽しい」と思ったんです。

Q.勉強が面白いと思えたんですか?

はい!人生が変わったのは、そこですよね。少しずつできる事が増えてくると、「今度はこれしたい、あれしたい」ってなるんです。そしたら、うちの母親が「大検」というものを教えてくれました。

Q.「大学入学資格検定」のことですね。

はい!私の体力も考慮した上で、進路も考えてくれたんです。だから、自分で挑戦したいことを見つける事ができました。

学生生活〜就職

Q.ちょっとずつ体力がついてきてからは、どんな毎日を送られていたんですか?

大検の資格をとって、その後に福岡の専門学校に通いました。その専門学校が、短大の資格をとれる上に、ビジネススキルも学べて、さらに大学編入もできるという専門学校だったんです。短大の資格を取って大学編入に進んだので、入院生活でのロスも埋められました。 大学には3年次からいきました。

Q.専門学校には、どれくらい在籍されたんですか?

2年間です。

Q.どうでしたか?

めちゃくちゃ楽しかったですよ。専門学校では、実際にビジネス界で活躍する先生たちが教えに来てくれるので、ビジネスや経済にとても興味を持ちました。興味を持てば、先生方が色々と教えてくださる環境だったのも、とても良かったです。

Q.その後の大学はどうでしたか?

大学は3年からだったので、入った時から専門的なことが学べました。また、ちょうどそのときに、命を蔑ろにするような事件が立て続けにあったんですよ。そこで私は、「命は大切なんだ」ということを純粋に伝えたいと思い、福岡の小中学校をまわる劇団を作って巡業しました。

Q.金生さん自身で、劇団を作ったんですか?

はい。大学に交渉して、『こうちゃんのあさがお』という本を題材に、脚本も書いてもらいました。「劇団モラトリアム」というのですが、それでいろんな小学校や中学校に交渉しに行きました。

Q.仲間はどうやって集まったんですか?

まずは大学のいろんなゼミを回って募集をかけたり、あとは就活のセミナーもやっていたので、そこの仲間にも声かけたりしました。後は、そこからの紹介で広がっていった気がします。学生がやると、特にテレビ局や新聞が取材に来るので、それがまた話題になって仲間が増えました。

Q.大学に入って、それまでイメージしていた大学像と相違点はありましたか?

本当はもっと和気藹々とやりたかったですね。知っている子は少なかったので、新しい友達を作りましたが、一緒にワイワイお祭りをやるような関係ではありませんでした。

Q.実際は、がっつり劇団をやったりされたんですね?

劇団は伝える手段としてやっていたので、手法のひとつでしたね。ですが、もっと自大学の仲間が欲しかったです。他大学の仲間の方が逆に多くなっちゃって。

Q.大学の先生と専門学校の先生で、違いはありましたか?

専門学校の先生の方が面白かったですよ。(笑)大学の先生はすごい優しかったですね。専門の先生たちの方が、生きた学びを教えてくれたと思います。10代の何も知らない時期に、社会の仕組みについて学べました。

Q.大学後の進路はどうされたんですか?

OGのお姉さんに、「東京と福岡じゃ、人・物・金・人脈が100倍違うよ。まず東京に行きな」って言われました。その一言で「はい、わかりました、行きます!」って。(笑) 東京で自分のやりたいことができる会社を調べたら、それが楽天だったので、楽天に行きました。

Q.会社を選ぶ基準は、どんなところにありましたか?

私は、元々ベンチャー企業にしようと思っていました。当時は、物事の全体を動かす仕事に就きたかったんです。

Q.全体の運営に携わりたかったんですね。

私は、いつか独立したいと思っていたんです。楽天の説明会に行った時に、担当のお姉さんが「でも私、ちょっと今度小料理屋やるから会社辞めるんですよ、はは」みたいなことを言うんですよ。ここは、その人の夢を応援する場所なんだと思って、楽天に決めました。

Q.楽天を選ばれたのは、その女性の言葉がきっかけですか?

それも1つなのですが、もともとは入院した時の経験が大きいんです。昔って、病院の売店には包帯くらいしかなくて、お洒落なものは全く無いんですよ。でも、楽天市場の機械が病院にセットしてあったら、色んなものが病院で買えるから、いいなって。それを言いに行くためにも、楽天がいいなと思ったんです。

Q.金生さんは就活の際、ご自身の病気については隠さなかったんですか?

はい。私は病気の時のことも売っていたので。新聞やテレビにも、病気だった学生の時のことが載っているんですよ。だから、「こんな活動してきました」っていうのをアピールして、病気を逆手にとりました。

Q.楽天で働き始めの頃は、どんな生活でしたか?

とても厳しくて、毎日毎日泣いていました。(笑)1年目の壁は、営業という仕事には終わりがないという現実でした。営業には、最低限ノルマがあって、それを達成しなきゃいけないんですけど、月が変わる毎にリセットされるんです。

Q.そうですよね。

1回上司面談があった時に、「ノルマを達成してから、どこまで上積みするかが評価の基準になる」と言われて、ショックを受けたのを覚えています。結局楽天には1年半いました。

転職

 

Q.次に何の仕事をやるか、決めてから辞めたんですか?

いいえ。でも、何かしら自分でやりたいと思ったので、手元にあるお金でできることを考えて、移動販売を思いついたんです。福岡に「ふりふりパスタ」という、ケータリングできるパスタがあったんですけど、それを東京で売ることにしました。

Q.楽天から結構変わりましたね。。。

「人を幸せにしたい」という軸は変わっていないんですよ。軸が変わっていなければ、何をやってもいいのかなと思います。

Q.金生さんは、もともとパスタを売れるような料理の腕前があったんですか?(笑)

はい。食べ物って正直、できるものなんだと思います。プロの味かって言ったらそれはできないですし、ボロボロに言われる時もそりゃたくさんありますよ。でも、自分がこれでいいやと思うものに、共感してくれる人はいるじゃないですか。万人受けは狙いません。

Q.どのくらいの期間やられたんですか?

これも1年半くらいなんですよ。そこでも出会いがあって。ある焼き鳥屋の大将と出会う事ができたんです。

Q.ご縁ですね。

大将とお話ししていると、ある不動産の社長さんの話になって。その人が部屋を余らせていて、新たにお店を入れたいということだったんです。

Q.ちょうど空いていたんですね!

そうなんです。そこで、私がいくつかの案をプレゼンしたら、そのうちの1つの案を取り上げて、「美容のお店は、まだ明大前にないから、やってほしい!」と言っていただきました。

Q.そこからお店を開いたんですか?

そうです。

Q.どんなことをされたんですか?

美容は、まつ毛パーマとか、まつ毛エクステとか、フェイシャルのお店をやりました。これは上手く軌道に乗って、結局10年続きました。でも、その後やっとやりたかった教育に携われるようになったので、美容のお店は譲渡しました。

Q.美容のお店を10年やりながら、思うことはありましたか?

はい。私は、人を育成するのは上手じゃないなと思いました。身勝手だからです。(笑)経営のために人をまとめて、継続させることは苦手なんだと思います。

Q.美容をやってから、どういう理由で現在のお仕事であるグレートキッズに行き着くんですか?

「ドリームプラン・プレゼンテーション」というプログラムの実行委員長である、福島先生のセミナーに行ったことがきっかけです。もともと、彼の本を読んで知ったのですが、生まれて初めて25万円も払ってセミナーに参加しました。

Q.25万円は大きいですね。

そうですね。でも、その勉強会や、そのあと実際に足を運んだ「ドリームプラン・プレゼンテーション」に感動して、人の夢の素晴らしさを知った時に、私が16歳の時に抱いた夢をふと思い出したんです。

Q.どう思われたのですか?

「あ、そうだ、私にも夢があったんだ。私の夢は、もっと経験積んでからやろうと思っていたけど、未来はいつでも自分が思えば引き寄せられる」と感じたんです。

Q.「グレートキッズ」のアイデアは、そういった過程の中で出来上がってきた構想なんですか?

そうです。楽天の中で「仮説→実行→検証→仕組み化」っていうすごく好きな理念があるんです。人ってどれだけ「こうすれば完璧」と頭の中で思っても、外的要因などでどうにもできないことっていっぱいあるじゃないですか。だから、仮説を1つ立てたら、まずは実行する。その中で、検証する。

Q.なるほど。

「何故うまくいかなかったか。次はどうしたらいいか」を考えるんです。そしたら、また仮説を立てて実行する。そのプロセスを繰り返していけば、いつかそれが仕組み化するでしょ?「グレートキッズ」は、そんな風にして出来上がったんだと思います。

今だから思うこと・伝えたいこと

Q.今の「グレートキッズ」のお仕事について、どのように感じていますか?

満足はしていないです。もっともっとできることがあるだろうとは思っています。

Q.やはり、今がゴールではないんですね。

実際に今のものが形になったら、今度は医療で困っている子どもたちを対象に「グレートキッズ」をやりたいなと思っています。楽しみながら学ぶ方法を使って、子どもたちのやる気スイッチを押せるように進んでいきたいとは思っています。

Q.今やっていらっしゃるお仕事は、自分にとってどんなツールですか?

「社会って面白いよ、生きるって面白いよ」ということを、子どもたちに伝える手段だと思います。

Q.今の金生さんから考えて、大学はいったほうがいいと思いますか?

絶対いったほうがいいと思う。だって、そこで自分の出会いって広がるじゃないですか。点と点は絶対つながるんですよ。社会人になってから、「あ、あの時の友達が」とか、必ず繋がっていくので。

Q.自分が何をやりたいのかよく分からないときに、大学か専門学校かどちらかを選べと言われたらどうしますか?

どっちがいいんだろう。わからないな。でもどちらにせよ、いろいろな大人に出会う事は大事だと思います。

Q.若い時に、やりたいことは決まっていたほうがいいと思いますか?

決まっていなくていいと思います。私自身も、その時の出会いとご縁で生きているからです。10年後の未来なんて、本当に想像つかないじゃないですか。ただそこに、臨機応変に対応する力は身につけておいたほうが良いとは思います。

Q.社会人と学生時代を比べると、どっちが楽しいと思いますか?

社会人が120%楽しいです。やっぱり、面白い人がたくさん集まりますよね。いろんな経験や失敗を経た上で成功している人もいるし、全然自分と違う生き方をしている人たちも、もう大学の比じゃないくらい集まりますよね。そういう存在が、自分をさらに深めてくれるんです。

Q.金生さんが仕事をする上で、大切にしている考え方や、やり方はありますか?

当たり前だけど、感謝することですね。今生きている私たちの人生は、誰かが生きたかった1日を生きているんだと思います。だから今起きている事、すべてに対して感謝かな〜。

Q.それは仕事だけでなく、日々生きる上でもつながるわけですか?

つながります。例えば、失敗することも、怒ったりすることも、ものすごい凹むこともめちゃくちゃあります。人のせいにしたくなることもあります。でも、それも含めて「いや、でもあの人がいてくれたからだ」って思うんです。おかげさまですよね。

Q.人に対して怒りを持ってから、どうやって感謝を持つに至るんですか?

私はそんな善意で生きているわけではないので、旦那にやつあたりします。(笑) お互い今遠距離なので、旦那に電話して、本当にもうただただ聞いてほしいこと、言えることを発散。あとはもう寝る。寝たら、私は次の日単細胞なので「やぁ」って言って元気になってるんです。(笑)

Q.金生さんにとって、仕事とは何ですか?

仕事は人生かな。もう大好きです。

Q.今後進路を考える学生や高校生に伝えることがあるとしたら、どんなことを伝えますか?

まずは、やってみたほうがいいよと思います。まず行動。悩む前に行動。だって学生なんだもん。何回失敗したっていいじゃん。それは絶対経験になるよと。25歳とか30歳のときに振り返って、「あんなことあったね」って笑える人生が、一番最高じゃないかなと思います。

Q.やりたいことがないと言う人は、どうやったらやりたいことをみつけられると思いますか?

多分、自発的になっていないから無理でしょうね。だって、人に求めている時点でもうダメじゃないですか。それは人に頼っている人生だからだと思います。「そんなこと言っているうちは、見つけられないよね」と思います。

Q.じゃあ、その人はどうしたらいいと思いますか?

考えを持っているけど、それが自分の中で悩んでいたりしてわからないから、持っていないという解釈になっちゃうんだと思います。本当に悩んでいる子はいます。でも、悩んでいるということは、絶対何かを持っているんです。だって、悩んでいなかったら何も生まれないじゃないですか。

 

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