X

順調ですか?もしそうなら成長していないかも。

人生が「順調」ですか?もしそうなら成長していないかも。

伊藤 海

「世界中の海を綺麗に」という夢を描き、産業廃棄物処理を扱う会社「ムゲンサービス」の代表を務める伊藤海さんにインタビューしました。自身の成長を何よりも大切にし、ブラック企業で働いていた伊藤さんにとっての仕事、就職先の選び方を伺いました。多くの過酷な経験や人との出会いを通して生まれた哲学は「きついな、と思った時の方が成長している。」

高校時代

Q.高校生の頃は、どんな高校生でしたか?

今ほど主体性はなかったです。年を重ねていくうちに、やりたいことが出てきたなと思います。中学の時にバンドを始めて、高校でも続けたくて軽音部に入りました。高校はバンドマンでした。高校自体が「楽しもう」という色が強い自由な高校でした。

Q.例えばどんなことがありましたか?

体育祭を一生懸命やる学校でした。体育祭準備で体育館に忍び込んで2週間泊まり込みをするくらい(笑)体育祭が終わっても日が暮れるまでグランドのど真ん中でみんなで肩を組んで校歌を歌うような、本当に「青春」って感じでした。

Q.悩んだことはありましたか?学校が嫌なことはありませんでしたか?

高校になると急に勉強で点が取れなくなって「お前はバカだ」と言ってくるような先生の態度や、相手にもしてくれないような対応が嫌でした。「うちの学校のレベルはこれぐらいだから、大学はこれぐらいしか行っちゃいけない」という思い込みも嫌でした。私自身、400人くらいの学校で下から5番目をとったことがあるくらい、成績は本当に良くなかったです。

Q.大学受験はされたんですよね?

はい。あるとき模試を受けたら、結果が偏差値39。予備校も入れない状況でした。でも、行きたいところしか行きたくなかったので、明治と早稲田と立命館を受けて、そのうち唯一受かった明治に行きました。

Q.偏差値39から明治に行くって相当勉強されたんですか?

誰よりも勉強しました。最後の3ヶ月は、勉強以外はご飯を食べてるか寝てるかの生活でした。でも、明治以上の壁は破れなかったですね。勉強を始めたのは高3の頭で、もっと早くから勉強しておけば上に行くことも出来たし、選択肢が増えたのかなとも思います。

Q.進路選択をするとき、何か迷ったり不安になったりしたことはありましたか?

やりたい事が決まっていなかったので、専門学校などの道は選択できませんでした。知識がない段階で道を決めてしまうのは怖かったんです。大学で色んなことを学んだ方がやりたい事がわかるんじゃないかなと思いました。

Q.どうやって大学や学部を選びましたか?

予備校の先生に「学校に行って学生になったイメージを浮かべてこい!そしたら必ず受かる!」と言われ実際に大学に行って雰囲気を見て決めました。モチベーションをあげるには、早く実際に大学を見に行った方がいいですね(笑)学部は経済・商学部を選びました。ただ、経済が好きでビジネスがやりたくて選んだというより、「敢えて言えば」という感覚ですね。

Q.考えて学部を選んだほうがいいと思いますか?

そんなに考えなくてもいいと思います。学部と仕事は直結するわけではないので、勉強したいところに行くのが一番いいと思います。

Q.やりたいことが決まってなければどうやって学部を選ぶべきですか?

高校生でやりたいことを決めるのは難しいと思います。振り幅をとりやすい学部を選んでみるのもアリですね。文系か理系かだけ決めておくくらいでいいのかなと思います。

Q.高校の時の大きな出来事はありましたか?

高校卒業から大学入学までの1ヶ月間、引越しの会社でバイトをしていました。仕事を全然教わっていないのに、めちゃめちゃ怒られたりと結構大変でしたね。
でもその時の上司に「仕事は見てやるんだ」と言われたんですね。その言葉を聞いた時、すごくしっくりきたのを覚えています。

Q.周りはどんな方だったんですか?

大学生がほとんどで、その中でも「仕事ができる、できない」という風にお互いを見ていました。自分も「仕事ができる」と言われたいなと感じていました。「言われなきゃわかんない」ではなく、「その人が隣にいるだけで研修になるんだ。」と思いましたね。

大学時代

Q.大学はどんなイメージでしたか?また、実際どうでしたか?

大学に行く前は、なんでも自分でやるんだろうなとすごく大人なイメージでした。大学に関しては、100点満点ではなかったですが、それなりに学ぶこともできましたし、行ってよかったなと思います。

Q.どんな大学生でしたか?

1年目はひたすらバンド活動でした(笑)でも、夏の大会でセミグランプリをとり、先輩方は「音楽でご飯を食べたい」と本気な想いに対して、自分は趣味に近い感覚で。そのギャップを感じて1年で辞めました。「自分は音楽で飯を食わないな」というイメージができたし「ビジネスで飯を食いたい」というイメージで来ていたので、それがさらにクリアになりましたね。

Q.大学2年生からはどんな学生でしたか?

2年生までは「バイト・カラオケ・飲み会・麻雀」という大学生活をしていなかったので遊んでみたんですが、すぐに飽きちゃいました。その頃から本にハマり、「読んでみると面白い」ということが20歳くらいにわかりました。頭の中の白紙のノートに、点で知識がついていたところが、その円が大きくなり点と点で繋がっていく感覚が面白かったですね。

Q.勉強はどうでしたか?

時間はあったはずなのに、4年生の時には単位が足りなくて(笑)一番前に座って真面目に授業を受けて、64単位とりましたね。それも意外と楽しくて、同じような仲間と、真剣に学問に触れるのが楽しかったです。半強制的にそういう状況になったことで、つまらないと思っていた勉強の楽しさに気付きました。

Q.就活はどうでしたか?夢と安定について考えましたか?

アルバイトをしていた人材派遣の会社は良いなと思っていたし誘われてはいました。ただ、他も見ていて2社くらい内定をもらえたんですが、その人材派遣の会社でいいかな、と思いました(笑)その会社はこれから成長して上場していくだろうという状況だったので、非常に魅力的でした。

Q.大学生の時は生き方に関するビジョンはありましたか?進路選択はクリアでしたか?

「成長している企業に行きたい」という思いがありました。その人材派遣会社は、離職率5割程でしたが会社自体は成長していたので、リスクではなく逆に自分にとってのチャンスだと思いました。重要視していたのは、会社が成長しているかと、自分自身が成長できるか。既存のものよりも、世の中を創っていくような企業に行きたいと思っていました。

Q.その成長願望はどこから来るんですか?

出来上がったところにいても力が出ないんです。それに、自分の思い通りにいかない仕事が嫌でした。多くの会社は「こうすれば売上が上がる」ことを今までの通例でやらないんです。でもその会社はバイトの頃から、「こうしたい」と言えたし、チャンスを与えられる環境でした。ブラックと言われるような企業のなかにこそチャンスはあると思います。

就職

Q.人材派遣会社に行ってどうでしたか?

今でこそ廃業しましたが、労働時間では絶対ブラック企業だと言われてましたね(笑)定時が9時半なんですが、終わるのが0時過ぎでした。人を派遣するので、朝ちゃんと働いているか確認をする早番の時は、朝6時半から0時までいなきゃいけない時もありました。12時まで仕事が終わらなくて、会議をなぜか夜の1時からとか始めるというのが普通でした。

Q.実際入ってみて良かったと思いますか?

きついことも多かったですが、今振り返ると最高な会社ですね。ネットでも、9割5部ネガティブな反応ですが、それを書く人は大半が部外者だと思うんです。人出が足りない企業に人を送り込むんですが、ただ送り込むのではなく「どのタイミング」で、「どんな人が行ったらいいのか」、企業とマッチングさせます。

Q.やりがいはありましたか?

お客様の経営まで入り込むこともあり「あなたのおかげでこの冬乗り越えられたよ!」と、喜ばれることも多いです。派遣するスタッフさんに対しても、定職に就けなかった人たちが生き生きと働くというきっかけ作りもできたので、雇用を生み出すという、社会的な意義も高かったんじゃないかなと思います。

Q.給料も良かったんですか!?

昇格していき、給料も良かったです。23歳でブロック長、24歳で部長になりました。その時の年収は1180万でした。ブラック企業の大体は成果給で、インセンティブボーナスが出ました。予算があって、それを超えた分の%がそのまま給料になります。超えないと普段の給料も下がりますが、超えると給料も上がるし、ボーナスももらえる仕組みです。

Q.やめようと思った時はないんですか?

あります。川崎・東扇島の責任者になった時です。派遣労働者が2〜3,000人の街で、業界最王手でも50人程しか人を出せていなかったんです。私はそこに車で30分かけて行ってたんですが、「島に営業がいけていないから、営業拠点を作り、サテライトオフィスを置いたらどうですか」と言ったら、自分が行くことになりました。

Q.結果はどうでしたか?

評価軸は「どれだけ人を手配できたか」。東扇島でどれだけ獲得しても、成果給で「今までの評価にない場所だから」と0点をつけられました。50人を500人まで上げたのに0点。部下まで0点という評価が悔しくて仕方なかったです。これを受けて、「辞める」と言った時、部長に「俺がなんとかするから頑張ろうよ」と言われて、グッとこらえましたね。

Q.その時もかなり過酷だったんですよね?

週に2回しか帰れなくて、無人島暮らしでした。東扇島の場合は終バスが夜9時半で、そんな時間に帰れるわけもない。サッカーの岡田監督もよく言っていた「人間万事塞翁が馬」という言葉、東扇島の辛い経験がその後マックス活きていくという感じでした。統括部長の時に貰えたインセンティブがその時の成果なので、続けてきて良かったなと思いました。

Q.辛いと辞めたくなると思うんですが、見極めるスパンについてはどうお考えですか?

自分の成長でまず判断します。「今やっていることは大変だけど、実は成長はしている。でも大変。」ということであれば、やってみた方がいいと思いますね。よく離職の判断素材として、「人間関係が悪い」「労働時間が長い」「給料が安い」が挙げられますが、「成長」も加えてみた方がいいと思います。

Q.成長って、辛い時は自分の視点で見るのは難しかったり、結果論や後々振り返ってみてわかることかなと思うんですが、どういう時に感じられるんですか?

「自分の立てた目標を超えられた瞬間」が成長です。「きついな」と思った時の方が成長してるんですよね。逆に「順調だな」と思うときは、人間として成長していないです。当時は「何でこんなことしているんだろう」っていう経験が今に生きていることが多いです。盲目的にではなく、成長を図るためにも目標があった方がいいと思います。

Q.27歳で退社されていますが、何か退社のきっかけはあるんですか?

いつかは両親を手伝わなきゃなと思っていました。人材派遣会社で一通りやって、自分に自信がつきました。長時間労働は大変でしたが、「こういう仕事の仕方をすればある程度やっていけるぞ」という自信です。今の会社がもしダメになったとしても、経験と自信があるので飯は食っていけるなと思えるのは大きいですね。

Q.とてもプラスになったんですね

ただ、ブラック企業の難しい面として、20代でしかそういう経験はできないと思います。20代で辛いことを経験しておけば「どこまで自分ができるのか」「どんな会社だとやばいのか」という見極めができます。4、50代でブラック企業に入った時、果たして対応できるのか。成長したいのであれば、早いうちに色々な事を経験しておいたほうがいいですよね。

Q.俗に言われるブラックな会社でもこんな会社はそんなにブラックじゃないという線引きはどこですか?

「労働時間が長い=ブラック企業だからNG」に対して、真剣に考えて欲しいです。労働時間が長い意味・裏を探って欲しいです。長い時間修行ができるということ。すぐ会社に貢献できるわけありません。多くが修行の時間で、それが9〜17時までと9時〜24時までの修行時間ではその差は大きいと思います。量をこなさないと、質を上げるのも難しいです。

転職

Q.今はどんなお仕事をされていますか?

廃棄物回収の会社の代表を務めています。創業7年目を迎えます。社員5名、アルバイトを含めて、10人くらいの所帯でやっています。

Q.具体的にはどんなお仕事ですか?

廃棄物回収とその運搬です。廃棄物業界は運搬と処分に分かれます。処分は、処分用の土地や周囲の人の許可が必要なので、大きな会社でないと難しいです。でも運搬はトラック1台の許可があればできます。弊社は、回収でトラックに積み込む際に仕分けをします。コスト削減にもなり環境にも非常に良いです。

大抵の業者はそのまま物を持って行って処分場に置いてきますが、弊社は徹底して分別しています。大変ですが原価もかからず在庫を抱えないので利益率は非常にいいです。

Q.仕事の依頼は結構多いのですか?

営業すれば取れるなという手応えはあります。でも実は、廃棄物が激減しています。家庭から出る一般廃棄物が、25年で47%減。業界的には少し危機感も感じます。産業廃棄物も微減と、全体のパイは減っています。ただ廃棄物業者に詳しい人は少なく、寡占化されていないので、弊社のような新興企業が入ってもそこそこ勝負はできるんですよね。

Q.創業されたということですが、なぜ廃棄物の仕事をしようと思ったのですか?

理由は2つあります。1つは、父も同じような業種でやっていたからです。前職を辞めた時も父の仕事を手伝い廃棄物の定期回収をしていました。2つ目は、私の世代は環境問題が多くて悩ましく、何とかしたいと思っていました。経済活動をするからには環境が良くなるようなことをしていきたいなと思っていました。

Q.学生時代からずっとその仕事に興味があったのですか?

小学生くらいからゴミ問題や温暖化問題といった環境問題に関心があり、何とかしたいとはずっと思っていました。創業したのは29歳ですが、30歳までにはしておきたいなと思っていました。

Q.起業するのには結構勇気いりましたか?

起業が100%リスクかというと、違うと思います。リスクの少ない起業の仕方もあるとも思うんです。私も廃棄物を回収する時、最初はトラックを購入せず、営業をして、「ゴミを捨てたい」という声を拾い、業者を仲介してマージンをいただいていました。その後トラックを購入して、作業員を雇い…と少しずつ成長していきました。業種とやり方次第ですね。

伝えたいこと

Q.何のために、学校の勉強をしているんだと思いますか?

勉強はベースだと思います。例えば、中学の時に織田信長とか単語でしか意味をなしていなかったものが、今ではその中にあるドラマや楽しさに気づいて、すごく好きです。でもその楽しみっていうのはきっと勉強していなかったら自分にはなかったと思います。

Qでも役に立たない勉強もありますよね?

教養なんです。いい年で立派な方なのに必ず出るイベントには絶対に遅刻をせずに、真剣に参加して学んでいる人を見た時に、こっちの生き方がいいなと感じました。「素直さ」が大事だと思います。言われたことに対して素直に全部学ぶこと。学校の勉強もそれの一環だと思います。

Q.一番自分がかっこよかった時期、生き生きしていた時期はいつですか?

考える基準となるのは「今、どの時代にでもタイムスリップできるとして、どの時代をまた生きたいかと思うこと」ですね。私は、やはり今かなと思うんです。今ほどの知識がないし、勉強するだけやサークルで飲むだけも面白くないと思います。苦労もありますが、今が一番楽しいです。

Q.社会に出るよりも大学の方が人生の夏休みだと言われていますが、大学時代の方が楽しかったと思いますか?

全く思わないです。楽しさの質が違いますね。今は社会に対してどのくらいの役割を果たすかということが楽しいと感じます。特に売上を上げて利益を残すという地道な作業がすごく好きです。会社が成長して自分が成長していくのが快感ですね。

Q.仕事ってなんですか?これからのビジョンはありますか?

仕事は自分を実現するためものですかね。夢は世界中の海をきれいにすること。お台場の海が沖縄みたいにきれいになったらいいなって思います。お台場でダイビングできたら「楽しいんだろうな」と。他の業者がゴミにするものも、自分たちがやることで8割資源になります。そうやって何かしらの形で将来の環境のために少しずつ貢献したいなと思います。

honki-test: