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もう一回自分の人生を味わいたいと思える、それが勝ち組。

もう一回自分の人生を味わいたいと思える、それが勝ち組。

吉澤朋裕

ポルトガルワインの輸入販売事業を行い、会社を立ち上げ代表取締役も務める吉澤朋裕さんにインタビューしました。商社で働いて気づいた自分のやりたいこと、それを叶えるべく夢に向かって動き出したその時の想い、吉澤さんにとっての仕事や人生の楽しみ方についてお聞きしました。その道のりで生まれた哲学は、「常に最高の瞬間でいること」

高校時代

Q.どんな高校生でしたか?

やんちゃ坊主ですね(笑)その頃から目立ちたがり屋で、文化祭の実行委員会を3年間続けました。クラスでは新撰組の劇をやり、バンド活動でも後夜祭のトリをやったり全力で楽しんでましたね。成績はクラスで下の方でした。古典があと1点足りなかったら留年してました(笑)大学受験の時も、当然浪人でした。本当に勉強する気は全くなかったですね(笑)

Q.浪人したんですね。笑

推薦で行こうかなと軽い気持ちで考えていました。でも僕の成績だと専門か短大にしか行けないよと先生に言われて、大学受験は甘くないと実感しました。3年間全力で遊んで、浪人して勉強を頑張って大学に行くような変わった学校でした。

Q.進路については考えていましたか?

小学生の頃から「サラリーマンはやだ」と言っていたみたいです(笑)父親の背中を見て、なりたくないと思っていたんでしょうね。家族がいるからやりたくない仕事をしてでも養わなければならない。それを見て自分のやりたいことやってお金稼げたらいいのになと思っていました。

Q.どうやって卒業後の進路を決めましたか

小学校の先生になりたかったんですが、免許を取れる大学が少なかったので、滑り止めで他学部を考えた時に、法学部が目にとまりました。資格をとれば弁護士や司法書士として独立できる!と思いました。教育学部は全部落ちて、法学部は全部受かったんです。法学部に入って独立する道に惹かれていったので、結果的には良かったのかなと思っています。

Q.進路選択をするとき、何か迷ったり不安になったりしたことはありましたか?

独立というハードルが高かったです。高い能力や人脈、経済の知識がないとダメだろうと漠然と思っていました。どうやったら社長になれるかはわからないので、漠然となりたいと思いつつ不安でした。でも、何とかなるだろうという楽観的な考えの方が大きかったです。

Q.大学はどういう基準で選ばれたのですか?

知名度が高い所を基準に選びました。国立志望で合格もしていたのですが中央大学の法学部にも受かっていたため、「国立を辞退したい、授業料を出してください」と父親に頭を下げました。

Q.あまり勉強されてなかった高校時代から偏差値の高いところに行く道のりは大変じゃなかったですか?

大変でした(笑)浪人時代は1日12時間以上勉強してました。予備校で朝10時から午後9時まで勉強して、その後安いカフェで終電まで勉強する生活でした。父親も一浪していたので、同じ浪人として絶対負けないという想いがありました。。

Q.なんでそんなお父さんに対してライバル意識を持たれてたんですか?

僕は長男で、弟とは違い親父は僕にはすごく厳しかったんです。父親と仲が良くなくて、よく馬鹿にされていたので、絶対見返してやると思ってました。でも、大学が決まった時、父親に「負けたよ。おめでとう。」と言われました。実際すごく応援してくれていたようで、社員の方に「お父さん、君のことすごい褒めてたよ」ってのを聞いた時はすごく嬉しかったです。

大学時代

Q.進んだ先はどうでしたか?

高校時代が楽しかったのと浪人した分、大学に対する期待値は結構高かったです。でも、その大学は付属の人が半分近くいて、輪ができていました。全然楽しめなかったです。大学ではしっかりやらなきゃと思っていたので、最初の半年は真面目に勉強していましたが、あまり楽しくなかったですね。

Q.海外留学されていたのですか?

大学2年の時に初めて1ヶ月カナダの語学留学に行きました。自分で留学先と宿泊先を見つけて、なぜ留学したいのかプレゼンをして、通ると奨学金40万円をもらえるチャンスがありました。一次試験は受かりましたが2次がダメで。自費でもいいから行きたかったので行きました。

Q.自費でですか!素晴らしいですね!

留学で、日本での当たり前は海外では当たり前じゃない、と思いました。視野を広げるために海外に関わる仕事をしたいと思いました。衝撃だったのは、バスが時間通り来ないし、来たと思ったら運転手が降りてトイレに行ってパンを買ってきたこと(笑)日本との違いをたくさん見た時に、面白いなと。自由な生き方がいいなーと思ったのは大きいですね。

Q.なぜ自由な生き方がいいなと思ったんですか?

昔から縛られたくない性格でした。規則とかをよく無視してきたなと思って(笑)規則は目的があって初めて成り立つものなのに、規則を守ることが目的になっていることが多く、ばからしいなと思う時があったんです。

Q.就活はどうでしたか?

海外に関われる仕事で、興味のあったアパレルのバイヤー関係、海外と日本をつなぐ全日空や日本航空といった物流システムを持つ会社を受けました。一応大手メーカーも受けつつ幅広く動いていました。

Q.どうやって卒業後の進路を決めましたか?

三菱商事の叔父に相談すると「独立するなら商社がいいんじゃないか」と言われまました。扱う商品を仕入れてお客様を見つけて売れれば商売になる。独立しやすく、大きなお金も動かせるからと、商社一本に絞りました。僕は周りの人の意見を聞いて、いいと思った意見を取り入れることが多いですね。

Q.当時就活中に重要視していたことはなんですか?

仕事を任せてもらえるかを一番重要視しました。海外に関する仕事で、実際に働いている人が楽しんでいるかどうか、給料も見ました。振り返るとすごく成長できたなと思います。浪人と就活はもうこんなに頑張れないほどやったので後悔してません。

Q.迷うことはありませんでしたか?

やりたいことができる繊維系の商社と、鉄鋼系の商社の2社で悩みました。繊維系の社員は目が死んでいました。鉄鋼系の商社は、仕事に誇りをもっている人が多く、楽しそうでした。鉄鋼に興味はなかったんですが、「人」で選びましたね

就職

Q.お仕事を始めたときどうでしたか?

つまらなかったです。でも最初の配属先の課長がすごく仕事ができる人でした。その人と3年間一緒に仕事が出来たのは、今でもすごく誇りで本当に勉強になりました。鉄鋼の購買部で、会社の柱である鉄を売るための仕入れを僕にやらせてくれました。1億円近い仕入れの決裁権を1年目の僕にくれたんです。

Q.その後どうされたんですか?

4年目に鉄鋼の輸出の部署に配属されるも今度はメンバーが合わなくてやる気が起きず。飲食に興味を持ち出し、バーの共同経営もしていました。最後の1年は仕事も少なく、17時で速攻帰ってポルトガルワインの輸入販売事業をしていました。1年間輸出関連の仕事が、今の輸入ビジネスのヒントになっているので無駄ではなかったと思います。

Q.仕事をする前のイメージとやってみて違ったことはありましたか?

商社のイメージがなかったし、何をやるのか分かっていなかったです。鉄って何?って感じ。法学部だったので、法務部だと思ってました。配属されてみると営業で。仕事はあまり面白くなかったです。でも勉強にはなりました。大企業なので研修もしっかりあり、役に立った部分もあります。

転職

Q.他にどのような仕事をしていたことがありますか?

今転職して4社目ですが、最初の商社以外は全て飲食店です。

Q.なぜ転職をしようと思ったのですか?

最終ユーザーが全然見えないのがつまらないと思って。自分のアクションがお客様にどう伝わるのかが見れたら面白いだろうなと思いました。お酒が好きで、新しく人が繋がる多くの場合、食事やお酒があるなと思いました。人が繋がる場に関わったり自分のお店でそんな化学反応が見れたら面白いだろうなと思って、飲食店の出店に興味を持ちました。

Q.実際転職されてどうでしたか?

勉強になりました。最初の飲食店がバル。レストランの接客も学びたいと思い次はイタリアンレストランでした。飲食店のトップのサービスはレストランなので、そこでサービスを学んだ上で、バルを出店すれば、自分が下に指示を出すことになっても、経験を生かせると思って行きました。

Q.飲食のサービスってどんな感じなんですか?

100%の正解がないので難しいです。メニューやおしぼりを渡すタイミングも、携帯電話を触っていたり、コートを脱いでいない時に渡したりするのはサービスではないと思うんです。それはサービスではなく作業です。各テーブルの状況を把握して動くし、ワインをつぐ、説明をする、料理を運ぶという事も優先順位をつけてやっていくので毎日忙しいです。

Q.飲食をやっていて喜びを感じる瞬間はどんな時ですか?

僕の名前を覚えて来店してくれた時や、あなたに接客されて良かったと言われた時ですかね。色んなレストランがある中で、たまたま僕と知り合って、何か影響を与えられたら嬉しいですね。サービスってその人にしかできないサービスだと思っています。お店のウェイターとの関係から、個人対個人の関係になれた時はやっていて良かったなと思いますね。

Q.吉澤さんが思う自分にしかできないサービスってどんなことですか?

まだ確立できてないんですが、僕は人と話すことがすごく好きなので、「今日なんでいらっしゃったんですか?」という話から好みを聞き出してみたりします。お祝いで来ていたら最後にこっそりプレートを書いて出すとか。期待値を超えるサービスを常に考えていたいです。もっと質を上げていけば、自分のスキルがお客様を満足させる武器になると思います。

Q.今のお仕事に対しては、どう感じていますか?

楽しいです。今はアルバイトで週3でウェイターとしての勤務ですが、ランチタイムだけも可能で、夕方から自分の仕事もできて融通が利くので良いかなと思っています。面接でも先に「自分のビジネスをやるための資金集めをしたい」ことを伝えているのですごくやりやすいです。

Q.今後はどうされる予定ですか?

バルもレストランも経験して、飲食経験が2年になるので、本格的にワインの方にシフトしていこうと思ってます。サービスレベルはまだ高くないですが、ウェイターとして1年半経験を積めたので、今後は経営の勉強や今月出店するお店の準備にシフトしていきます。

Q.具体的には新しいお店のイメージはどんな感じですか?

5席しかない小さいお店なので、ふらっと来て、一杯飲んで帰ってもらうような感じがいいなと思ってます。ワインのハードルを下げたいんですよね。もっと気軽に楽しめるようなお店を作りたいと思っています。ワイン1杯とおつまみ食べてまた明日も来るねーみたいな。

Q.ポルトガルワインは他のワインとは何か違うんですか?

ワインはフランスやイタリアが有名ですが、価格が高いです。同じ価格でもポルトガルワインの方がより美味しいものが飲めるんです。日本では知られていないんですけどこれからマーケットを作っていければいいなと思います。

Q.今のお仕事を通して、何かしたいことはありますか?

カンボジアに行った時、日本人はお金はあるけど心の貧しい人が多いと感じました。おじちゃんと会って、「嫁と子供がかわいいから、それがあれば今の生活のままで全然構わない」と笑顔で話していて。お金がなくても楽しく生きているなと感じました。日本人で「今の人生が楽しいです」って言える人少ないと思うんです。そんな人たちを増やしたいです

Q.具体的にどんな会社をつくりたいんですか?

若者たちが何かできるような会社を作りたいですね。あとは家族と過ごす時間をとれるような会社にしたいですね。例えば、週休3日で給料少なめっていう選択肢があったり、色んな生き方ができる会社を作りたいんですよね。その人の幸せとする生き方はひとつじゃないですし、そういう多様性を受け入れられるような会社があれば楽しいのになと思って。

Q.そういうアイデアってどこからくるんですか?

海外で色んな人と話す中で感じます。仕事に囚われない生き方があるんだなとか、信用さえ失わなければ、もっと日本もゆるくてもいいのかなと思います。幸せって人によって違うので。9時から17時まで会社にいるとか、上司が帰らないと帰れないとか、時代遅れだなと感じますね。

Q.海外の生き方に憧れつつも、海外ではなく日本で起業したいと思うのはなぜですか?

僕は、友達がいてある程度のお金があって休みがないと幸せじゃないので、仲間がいる日本がいいです(笑)仕入れたワインを売って利益を分配してみんなハッピーになって欲しいです。日本の当たり前とか、企業の当たり前を壊したいですね。僕が楽しいことが好きなお祭り男なので、みんなで何かを作り上げるというのが好きですね(笑)

伝えたいこと

Q.大学って、行った方が良いと思いますか?

どっちでもいいと思います。僕は400万払って4年間の自由を買うイメージです。海外に行くとか、やりたいことをやることの方が重要だと思います。あんなに自分のやりたいことに時間がとれるのは大学時代しかないです。18歳〜22歳の4年間をどう過ごしたいのか。それがわかんないから大学に行くという人も多いです。

Q.学生時代に、やりたいことが決まっていた方が良いと思いますか?

決まっていない方がいいと思います。やりたいことがわからない人が圧倒的に多いです。社会に出れば選択肢も増えるし、発見もあります。決まってない方が可能性が広がって面白いと思います。僕はレールの敷かれた人生を歩むなんて面白くないって思うんです。65歳になってもう一回自分の人生を味わいたいと思えるような、勝ち組でいたいです。

Q.高校と社会人どちらの方が楽しかったですか?

楽しさが違いますね。文化祭とか一つのものに打ち込むのはすごく楽しかったです。でも、社会人になるとスケールが違う。自分の生き方の選択肢があるので、よりダイナミックな意思決定ができる。ライフイベントを自分の意思で決めていけるので、今の方が楽しいですね。

Q.それぞれの時代で得た経験で、今に大きく影響を与えているなと思うものはありますか?

わりと全部です!影響を受けやすいので、小学校の先生になろうと思ったのも、ドラマの影響です。そんなレベルです(笑)欲望の赴くままに。今の一番の欲は会社を大きくすることです。僕の影響力でどれだけの人を幸せにできるか、どんな楽しい会社ができるかですね。

Q.仕事ってなんですか?

遊びの延長です。僕は好きなことでお金を稼ぎたいと思っていたので、好きなことでどうお金を稼げるかです。ビジネスって価値の創造っていうイメージです。好きなことなら頑張れるし。それが一つの強みとなって、成功するまでやり続ければ絶対ビジネスになると思います。

Q.小さい頃からお父様に対してこうなりたくないという思いがあったとお聞きしましたが、自分はどういう父親になりたいとかはありますか?

子どもには一つ誰にも負けない何かをもってほしいです。「これが好きだ」というものを見つければ、それを伸ばしてあげたいし、やりたいことは全部応援したいです。「お前には負けないよ」みたいないいライバルでありたいです。抜かれた時は褒めてあげたい。子どもにとって魅力的な大人であり父親でありたいです。

Q.これからのビジョンはありますか?

常に最高の瞬間でいたいですね。今は今が一番楽しいですけど、40になっても50になってもやっぱり過去の栄光にはしたくなくて、「今が生きていて一番楽しいです」って言い続けたいです。そういう人生を歩めれば、失敗しても笑い飛ばせるような人生にしたいです。一回しかない人生なので誰よりも楽しんでやろうと思ってます。

Q.これから進路を考えていこうとしている高校生や大学生に、もし何か伝えたいことがあったらお願いします。

焦らなくていいと思います。やりたいことはいずれ出てくるし、変わっていくものなので、今の自分の考えが全てだとは思わないでほしいです。もっともっと知らない世界を見て、もっともっと自分で吸収しけば可能性が沢山でてくるはずです。方向転換する事も間違いじゃないです。迷ったら楽しい方を選んでほしいですね。

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