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2018平昌五輪に人生を賭ける!梅原玲奈選手!

2018平昌五輪に人生を賭ける!

梅原玲奈

アルペンスキーからアジアでただ一人のスキークロス競技に転向し、平昌オリンピックを目指す梅原選手にインタビューしました。
トップアスリートなのに何故本気で勉強してきたのか、現在日本で唯一の世界レベルのスキークロスプレーヤーとして世界で戦うこと、その不安をどのように捉えているのかを聞きました。世界と闘う哲学は、「後ろを向いていても、目をつむっていても、時間は進んでる。」 

中学・高校時代

 

Q. スキーを始められたのは小学生の時ですか?

そうです。父の影響です。小4の時に、旅行で普通にスキーで遊んで、それで・・・という感じですね。

Q. スキーをやってみた瞬間に「これだ!」ってなりましたか?

全然。ちょっとやって、「すごい、上手!」って言われて。知り合いのスキー少年団に遊びに行ったらみんなかっこいい道具をつけてて。「やだ、かっこいい!」ってなるんです、単純だから。誰でも出られるちびっこ大会に出たら、3番だったんです。6人中ですけど。

Q. 3番は凄いですね!

表彰台に乗ったら単純に嬉しくて、「楽しい、もう一回やりたい」って思いました。どんどん続けていて、気付いたらしっかりやってました。自分でしっかりやりたいと思い始めたのは高校生や大学生になってからですね。スキーを始めた時は、楽しいからやっていました。

Q. 小6のときはもうバリバリだったんですね?

結構速かったですね。全国大会行くような子にはなっていました。

Q. 中学校の時も部活に入られていたんですか?

中学受験の時、スキーの全国大会に出たかったので、休める私立に行こうと思いました。勉強のための受験よりもスポーツのための受験に切り替えました。スポーツに理解がある中高一貫の学校に入りました。私1人のためにスキー部を作ってもらい、冬に学校からいなくなったら「スキー部の活動で」と言っていましたね。

Q. 中高の時代はスキーがっつりな生活だったんですか?

中高は結構がっつりで、中3の春に全日本ジュニアチームに入りました。夏は海外遠征、冬も海外遠征、帰国後ずっと日本で大会があるので、どっぷりずっとスキーで学校も行けませんでした。春や秋に学校にちょっと行くくらいで、冬は全然いませんでした。

Q. 3年間で卒業できたんですか?

できましたね。中学は義務教育なのでできるじゃないですか。高校も私立だったので、日本に帰ってきてとりあえずOK。笑

Q. テストは受けてたんですか?

ちゃんと受けます。点数も高校生の時は、ちゃんと一ケタのところにはいました。

Q. なんでですか笑!?

ちゃんと勉強していたので。学校にいるときにすごい真面目に授業を受けてました。気が散るので家で勉強できないんです。その分授業中にめっちゃ真剣にやったら、テスト勉強を特別にしなくてもいい位に点数が取れて、「やった!作戦勝ち」みたいな。

Q. 高校を辞めてスキーに専念できたらいいのにって思ったことはなかったですか?

それはないですね。父親は文武両道を大事にしていました。スポーツはすごい頭を使います。スポーツだけやってても、頭が悪いとスポーツでも勝てないということを私も思っていました。そんな父親の家庭で育ったので、学校はちゃんと行かなきゃいけないし、テストも受けるならちゃんと受けなきゃいけない。

高校に上がる時に他の高校から誘われもしました。青森や北海道や長野の学校です。でも、その辺の学校って高校生でABCから始めるみたいなところでしたので。。。

Q. バリバリ体育会系の学校ということですよね。

そうですね。午後はずっと部活で、勉強もやってるのかやってないのかわからない、そんなところには私も行きたくないし、父も行かせたくなかったんですよね。自分も困るなと思いました。ケガしたら終わりなんです、スポーツ選手って。「勉強しませんでした→馬鹿です→どうしよう?」ってなるので。

大学

 

Q. その延長線上に大学進学もあるんですか?

大学はスキー環境が整っていました。体育会という後ろ盾と、部活としての環境がありました。大学で勉強もできるし、強いチームなので、スキーもしっかりできると思って入りました。

Q. 大学の時も文武両道だったんですか?

体育学科に進学する人が多いんですよね。私はその中で英文学科でした。体育会の選手って、1年に入学出来る学生の数に上限があって、更にランクが決められているんです。

Q. それは勉強のランクですか?

スポーツの成績です。私は一番に選べる中の1人だったんですけど、英文科を選びました。みんな体育学科を選ぶんですけど。「なんで体育学科にしなかったの?」って言われましたが、英語を勉強したいと思ったので英文学科を選びました。体育推薦の人が全然いない学科なので、先生たちはすごく厳しくて、ちゃんと勉強して卒業しました。

Q. 安直なイメージかもしれないですけど、体育学科に行った方が良いのかなと思っちゃうのですが。アスリートとしてのキャリアが厳しくなった時にそのままの延長線上で指導者とか多いですよね。それは考えなかったんですか?

 

それって自分でできるなと思いました。身体のケアや、トレーニングの仕方は自分で調べるし、勉強すると思ったんです。自分で勉強できないことを教わりたいと思いました。英語が好きだし、海外に出て行くので。

Q. 大学に入って、スキー部以外で良かったことはありますか?

ちゃんと学校に行って、スキーも勉強もして、ちゃんと卒業したという自信はつきました。みんなは全然勉強しないで体育学科に入って、学校に行けば単位をもらえる。「大会に出ました」って紙を1枚出せば単位をもらえるところを、私は勉強して、レポートも出して、卒論も書いて卒業しました。みんなよりもスキーも勉強もやった、やりきった自信がつきました。

Q. バカアスリートみたいなのは嫌だったんですね?

絶対嫌でしたね。「アスリートだからバカなんでしょ?どうせ勉強しないんでしょ?」っていうイメージじゃないですか、筋肉バカみたいな。大学に行っても、「行けば単位くれるんでしょ?」って言われるじゃないですか。それが嫌で私は勉強しました。意地ですかね?笑

Q. スキー選手って、「就活」という言葉はあるんですか?

人によりますが、自分の目標に対してのボーダーラインがあると思います。女子選手はほとんど大学卒業でスキーをやめて就職しますね。

Q. どのくらいのレベルの人がやめるんですか?

大体日本の中でトップ10にも入れない子だったらやめる選手が多いですね。スキーで大学に入れた、つまり進学の手段としてスキーを使ったということですね。

プロスキーヤー

Q. 梅原さんの場合は、迷いなく進んだということですか?

私は大学でもトップ、日本全体でもトップ5くらいには常にいたので、大学3年生の時に就職先が決まっていました。声をかけていただいた秋田の企業にスキーで就職しました。

Q. 会社でも働くことがあったんですか?

その時の私の契約は働かなくて良い、完全なプロでした。国体があるのでそこに向けて選手を集めるんです。

他の県から呼んで、「うちの企業に入ってください」って。国体要員で秋田県に呼ばれました。

Q. 大学卒業後にプロになられたということですか?

一応プロですね。

Q. 「一応プロ」の段階を経た上でプロになるんですか?

一応オリンピック種目のスポーツってアマチュアなんです。今はスポンサーさんから契約金を頂いているので、プロスキーヤーって言えてますがなかなか難しいんです。プロじゃ無い期間もあります。アルバイトだけをしていたり、アルバイトして活動費稼いで、貧乏生活していた時もあるので、その時は完全にプロとは言えないですね。

Q. 今はスポンサーさんがいて、かつかつなバイトはしてないんですか?

していません。2年前にスポンサーさんがついてくださったので、ギリギリの活動費は工面できるようになりました。世界のトップに行くには週5バイトをして、それから練習だと、体力もやった分だけプラスになっていかないんです。練習したら休む時間も必ず取らないと、オーバーワークになるので、成長していかないんです。

Q. 休む暇がないと厳しいですよね。。。

私はやってもそれだけフィジカルが上がっていない。一方他の世界チャピオンは365日スキーのために過ごしています。私は週5日もバイトして片手間にトレーニングをする。そんなの無理に決まっているし、それでメダルを取りたいというのも失礼じゃないですか。

私だったら、「いや、何言ってるの。そんなんじゃ勝てるわけ無いでしょ」って思うし、実際結構難しいと思いました。今は活動費だけギリギリ工面できて、普段の生活を少し質素にすれば活動はできるようになったので、仕事はしていません。平昌が最後かなと思っているので、去年から、あと3年練習だけに集中をしていこうと思っています。

Q. いつ頃スキークロスに転向したんですか?

秋田の企業で2年お世話になっていて、それが終わってもう1年アルペンをやっていました。でも思う様に成績が出なくて。日本のトップ5くらいにいましたが、世界から見たら日本でこの種目でトップ5にいても結構厳しいんですよね。

私が18、19なら別ですが、24歳。引退も考えてた時に、スキークロスの先輩に声をかけられたんです。「アルペンの練習にもなるからやってみなよ」と言われてやってみたら面白くて。すぐに転向しました。

Q. 競技を転向することは大きな決断のように感じられるのですが、スキー界としてはあまりないことなんですか?

日本人ではあまりいません。私も含めて、過剰にアルペンに固執していて、変なプライドがあったと思います。「あと1年必死でやって引退するので、スキークロスとかやらないです!」って感じだったんです。やってみたら、全く出来なかったんですよ。

アルペンで負けたことはなかった先輩に、スキークロスでは全然歯が立たなくて。スキーヤーという大きな枠でみたら、自分は全然レベルが高くないと思って。「もっと上手くなりたい、こんなに大きい世界の中のこんな小さいところにいたんだ」と気づいて、スキークロスを始めました。

引退したくなかったこともあります。プレーヤーとしてスキー業界に携わっていたいという気持ちがありつつも、現実を見ていました。そんな時そういうハッとした出来事がありました。上を目指したいっていう風に。

Q. 結構即決だったんですか?

即決です。寝て起きたら、「あ、やっぱやろ〜」みたいな。

Q. 「スキークロスも結構いけるんじゃない?」という勝機はあったんですか?

やりたい気持ちがあったし、多分いけると思っていました。

スキークロス転向後

Q. そこからスキークロスに転向された後にすぐ世界選手権の代表になって、現在アジア人唯一のW杯プレイヤーですよね?

そうです。

Q. いろいろなインタビューを見て、相当な決意を持ってらっしゃると思うのですが、迷ったりとかしたことはないんですか?不安を持ったこととか?

しょっちゅうというか、常に不安は持っていますよ。

Q. どんな不安ですか?

本当に大丈夫かなって。マラソンとか陸上とか記録の競技って計れる物があるし、一生懸命頑張ればタイムで確認出来るじゃないですか。でもスキーって体力があるからとか、すごい筋肉モリモリになったからスキーが速くなるとか、直結しないんです。それが「大丈夫かな」という不安です。

やったことを自分の自信にして、体力が無いよりはあった方がスキーの練習自体こなせる、と思ってやってます。でも、雪上練習の日数が取れなくて、みんなはこの2倍も3倍もやってて、「大丈夫かな」と考えたりします。「でもそんなの考えてもしょうがないし」っていう堂々巡りですね。

Q. 他国のチームに混じって練習することも多いんですか?

そうですね。1人じゃ練習ができないので。コースがスキー場に1つしかないので、みんなが集まってきて、だいたいみんなで合流練習ってなるんです。スタートゲートで掛け声をかけて、後ろにあるバーを開く人が必要なので、1人ではスタートの練習もできません。誰かがコースにいたらだいたい知り合いなので「今日一緒に練習していい?」と聞いて一緒に練習したりします。

自分のベースのスキー場に誰もいなくなっちゃってどうしようとなったら、コーチに電話をかけます。この大会のスケジュール的にどこかのチームは多分練習しているはずだな、って、それで電話番号を教えてもらって、いきなり電話かけて、「練習したいからどこにいるの?」みたいな。笑

Q. アルペンやっていた時より、スキークロスをやっている方が英語を使って積極的に動く機会が増えたんですか?

増えました。

Q. その時から英語をやっていたから、いけたんですか?

誰もやってくれないから自分でやらなきゃいけないので。ここで恥ずかしがっていても自分が損するだけだと思ったからですね。高いお金を払って海外に来て、「今日は誰も来なかったけど明日は誰か来るかな」と思っているより、みんなに連絡して、「いつ来る?」って連絡した方が早いので。笑

1日1日、「今日〜万円かかっているしな」って考えたら無駄にしたくないなって思いました。

伝えたいこと・大切にしていること

Q. 大学の勉強って大事だと思いますか?

私は別に大学に行かなくてもいいかなと思います。本当に自分のやりたいことがあれば行けばいいし、行くこと自体が大事だとは思っていないです。私に関しては、大学でしっかり4年間勉強して、やることをやって卒業しましたということが、私の大学に行ってよかったと思っているところです。

別に何を勉強したのかはどうでもよくて、そういう風に思えるんだったらいけばいいし、「大学4年間で考える暇がほしいからとりあえず行くんだ」というんだったらそれでいいと思います。

でも18歳とかってすごく大事な年齢だと思うんです。「大学4年間でお金を貯めて大学卒業したら留学したいんです」っていう子がいますが「いや、もう今いけばいいじゃん」って思います。若いんだから、さっさとやればいいのになって思いますね。

Q. どうしてさっさとやればいいと思うんですか?

時間は過ぎていくからです。あっという間に過ぎていくし、今あと1年あるから、2年あるからと思っていても、2年後には明日しか残っていないし、1年後にはあと1年しか残っていないじゃないですか。

動く歩道で言ったら

動く歩道の上にいて、黙って乗っているなら違う乗り物に乗り換えて、楽しく同じスピードで動く歩道を進んだ方がいいんじゃないかと思います。

ぼーっと乗っているより、何か食べながら乗っていたいなって。

Q. ただ乗っていても、進んでいますもんね。

そう。後ろを向いていても、目をつむっていても、進みます。だったらその時思ったことをその時にやればいいし、その時しかできないことだと思います。

留学とかいくつになってもできるけど、私は若いに越したことは無いと思います。特に女性だと、私もそうですけど、例えば子どもを産みたいとかってあると思うんです。子どもを産むのってタイムリミットがあって誰にでも、それはずらせない。結婚はずらせても、子どもを産むタイミングは絶対リミットが決まっているから、っていうのは普段から思います。

Q. やりたいことや熱中できることは、どうやったら見つかると思いますか?

やりたいことや熱中できることが無い人には、「じゃあ何か今まで一生懸命やったことがあるのか?」と聞きます。何か1つでも。本当に自分の24時間とか1年とか、それに対して本気でちゃんとやったことがあるのかをまず聞きます。「やることが見つかりません」という人はそういう経験が無いと思います。

バイトだったら、お客さんにめっちゃ笑顔で接するのを一生懸命頑張るとか、大学に行ってるけどよくわからないという人だったら、絶対遅刻しないとか。絶対1番前の席に座るとか。本気で自分の100パーセントの努力をまずはしてみることを経験すれば、やりたいことはみつかるんじゃないかなと思います。

Q. やはり梅原さん自身も、競技をされながらも、今やらないといけないトレーニングなどにガチで向き合わなきゃいけないようなことの連続ですよね。

とにかくやる。やると決めたら100パーセントやる。時間は戻せないので。「今日ちょっと辛いからサボりたい、10分早くやめたい」と思う時もあります。でもやめたら、次の時、「ちゃんとやればよかった」とか、平昌の選考レースでコンマ1秒足りなかったとかなったら、「あの10分かもしれない」と思うのが嫌だから、とにかく全部やっておきたいんです。

Q. 仕事に取り組む上で大切にされていることはありますか?

今の仕事は人前に出たり、ファンの方との交流が多いので、笑顔でいることは意識しています。あとは、感謝の気持ちですね。スポンサーが付かない時期や、イベントにも呼んでもらえない時期もありました。そこに呼んでもらい「うちのサポート選手です」とか、「スキーヤーの梅原さんです」といってそこにいさせてもらえることはすごく有難いです。

1人でやっているわけではないので。イベントも裏方の方がいて、お客さんは勿論、入場整理をしてくれる人もいる、それで社員の人が一生懸命働いてくれて、私がプロスキーヤーとして笑顔で立っている事が出来ると思っています。

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