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プロアスリート×母親×起業家

プロアスリート×母親×起業家

新谷 奈津美

ママとして金メダルを目指す新谷選手にインタビューしました。怪我や困難をどうやってパワーに変えていくのか、家庭と競技の両立はどういうことなのかをうかがいました。前に進んで行くための哲学は「アクシデントが好きなんです。」

高校時代

Q. スキーを始めたきっかけって何だったんですか?

中一でオリンピックを見て、卒業したらやるぞって何故か思って。進路もそういう風に行きたいってことで中学の担任の先生に相談しました。先生自身は「まさかこんなにスキーを続けるとは」って驚いてたんですけど、通信制の高校ならいつでも都内の高校に編入できるし、選択の幅があるというアドバイスを頂いて、スキーをやるために通信制の学校に行くことに決めました。

Q. 通ってスキーしてたんですか?

千葉にあった屋内スキー場に通ってました。でもそこが高校3年の時になくなっちゃいましたけど。学校は通信制でも、年に14回くらい登校日があるんですけど、それも前倒して、学期の初めの方にまとめて登校することも認められていたので、冬の時期にはがっつり練習時間を取れるようにしていました。

Q. スキーを始めたのはいつ頃だったんですか? 

スキーを始めたのは、15歳。中3の夏に千葉の屋内スキー場に行き始めたんだと思います。

Q. 中学校の内にスキーで良い成績を残して、その結果として通信制に進学したということではないんですね?

ないです。むしろ、試合には出たことなかったんです。

冬のモーグル合宿キャンプに行ったんです。そこのインストラクターの人たちが、私のことを「この子は才能あるよ」みたいなことをこっそり言ってるのが聞こえて、真に受けたんですよね。そして、「よしやるぞ」って勝手に決めました。

Q. その進路選択、学校の先生や親御さんは、どんな反応だったんですか?

先生は、全然本気にしてなかったですね。ただ、多分、親は本気にしてて理解してくれていましたね。中3で進路を決めて、冬に入る直前にどこの山を拠点にしようかと考えた時に、父親と一緒に、有名だからと八ヶ岳に行ってみることになりました。インストラクターの方々は沢山いるし、モーグルコースもあるということで拠点はすぐに決まったんです。ところが、住むところが難しかったんですよね。「この辺にアパートありますか?」って探しまくったんですけど、なかったんです。

Q. それでも、離れて暮らす時には名残惜しい思いをされたんじゃないですか?

住む場所は最終的に、駅の近くのホテルの方が貸してくださる空き部屋になったんです。その交渉のとき、両親がオーナーとちょっと話をしたら「じゃあな」って言って帰っちゃったんです。

Q. え?!ってなんなかったんですか?お母さんに「頑張るね」とかもなく?

なく。「置き去りにしてったあの人」と思いましたね(笑)

でもちょうど携帯が出始めてた時期でしたね。液晶ちっちゃなやつだったんですけど、一応持ってたから、連絡も取れましたし、まあ死にはしないかなって思いました。それが始まりです。

Q. よく山にこもられていたということは、高校時代、学校の思い出というのはない…?!

学校ですか?ない、ですね。(笑)

Q. 高校卒業後も、大卒検定なども考える余地なくスキーをやられてたんですか?

そうですね、何にも考えずにやってましたね。周りにも色々言われたんですけど、当時はあんまり大学に行くっていうイメージがなかったです。「競技に集中できなくなっちゃうんじゃないか」という思い込みもあったんですよね。実際にはそんなことはなかったと思うんですけど。

Q. 今思うと高校は「別に行かなくても良かったかな」と思ったりしますか?

そんなこともないですよ。通信制の学校って自己管理が出来ないと続かないんです。登校日の日が月に2回くらいあるんですけど、1回目には同じ1年生が千人くらいいるんです。でも、2回目には半分くらいに減ってるんですよね。卒業するころには、全然いなくて、どんどん減っていくんです。時間の管理や、レポートの提出は、全部生徒任せなんです。期限について特に言われたりもしません。全部放置なので、ダメでも煽られたりしないんです。「全部自分でやる」という力はここでついたのかなと思います。

高校卒業後

Q. 高校卒業後はひたすらスキーですよね!?

いろんな大会に出てきたのですが、2011年にトレーナーの資格を取るために勉強を始めて、その年の内に資格を取りました。

Q. 資格取得中も、同時進行でスキーはやっていたんですか?

はい、スキーのためにトレーナー資格も取ろうと思っていたので、同時進行でしたね。

Q. 合格率20%くらいだと聞いたことがあるのですが。決して簡単ではない資格に、スキーを本気でやりながら、自分のスキー力向上のために、やられたってことですよね?

そうですね。専門学校の入学式の後に、2回目の膝の怪我で松葉杖ついて、リハビリしながら勉強してたりもしていました。学校に通っている時期に今の主人と会って、結婚して、出産もしたので、ちょっと間を空けながらも勉強しつつ、トレーニングしつつという生活をしていました。

出産

Q. お嬢さんがお生まれになっても、競技に割と早めに復帰してるんですね。

そうですね。7か月後に復帰しました。安藤美姫さんより早かったかもしれない(笑)

Q. それって、妊娠が分かるまではトレーニングしてるわけですよね?

妊娠が分かるまではしてました。

Q. 妊娠が分かった前日はトレーニングしてた、みたいな?

してました。思いっきり山にいました。

Q. 妊娠分かったらトレーニングってパッて辞めるもんなんですか?

体調を見ながら、ですね。私はつわりとか全然なくて、無理せずにやっていましたね。ある程度お腹の子が大きくなるまでは、そんなに頑張らずやって、大きくなってからはしっかりトレーニングしてました。すべってはないんですけど、体幹トレーニングなどを妊娠前と同じ様にやってました。

Q. 周りから、心配されますよね?

そうですね。、妊婦さんはやっちゃいけないっていうの教科書に書いてあるものとかもありました(笑)トレーナー学校の周りの先生は、見ないふりしてました(笑)

Q. 復帰するのって容易じゃないんですよね?7か月で出来るものなんですか?特に、モーグルって動き的にも大変そうですが…

そうですね。でも、産後の方が回復力は早いんです。出産後の方が追い込んだ後の筋肉痛もすぐ取れたり、体力の向上は早いんです。医学的にもそれは証明されてるらしく、子どもをお腹の中で育てるために、毛細血管がいっぱい出来るから代謝も良くなったりするんですって。

Q. トレーニングしながら、授乳してみたいな感じですか?

そうですね。そういう感じでした。赤ちゃんをトレーニングに連れて行くことまではできなかったので、家で寝かせて家族にみてもらって、2時間トレーニングをしたら帰って、授乳して…ということをしていました。

Q. 旦那さんは、応援してくださってたんですか?

そうですね。娘と3人で一緒に住んでるんですけど、旦那も結構変わってて「それぞれ自分たちの人生だよね」っていう感じなんです。彼は剣道家なんですけど、好きなように剣道やっています。私もこうやってアスリートとしてやらせてもらって、でも「それが普通じゃない?」っていう理解のある彼なんです。女だから家にいて家の仕事をしなさいっていうのはもう違うよねっていう風に言ってくれる彼だったので、それが一番大きいですね。

Q. 出産前後で変わったことってありますか!?

「世界一を目指したい」っていうのが出産前は曖昧でしたね。多分そこまで勇気がなかったのかな。ガッツリやってはいるけど、例えば「オリンピック」っていう言葉をだしたり、「世界一」っていう言葉を出したりすることに「すごい勇気がいるな」っていうのをすごく感じていて口に出せなかったです。そういうことは、成績をとってから言うぞって思ってました。

Q. 明言しないって感じなんですね。

明言するのが少し苦手でしたね。言っちゃったら後ろ指刺されるんじゃないか、みたいな不安があって、言い切るにはよっぽど勇気がいるなって思って、断言してなかったです。でも言わないことで、自分が曖昧で、どこを目指してるんだろうって思ってました。

Q. 目指すものがクリアでなくても集中して競技って出来るものなんですか?

出来るものなんですね。どうしてなんでしょう。ちょっと職人みたいなところがあるのかもしれませんね。大会で成績出すことよりも、自分の技術、スピードを上げるとかそういう方に意識が行っちゃってました。

競技と向き合う

(c)Junichi Takahashi ヘアメイク・長井かおり 

Q. 本気でやろうとおもった背景をお伺いしてもいいですか?

2013年の4月に60歳手前ぐらいの、とある女性と出会ったんです。その方が、お見合いで結婚して嫁ぎ先に入ったんだけど、すぐに旦那さんが亡くなっちゃったそうなんです。お義父さんお義母さんは、全然知らない人でも、そこの家のためにずっと尽くされて生きている方なんです。その方に出会って「そうかやっぱり日本人女性ってこういう風にならなきゃいけないのかな」って思ったのもありました。まずはそのためにも、自分をやり切らないとダメだと思って、とりあえず2015年の3月まではやるぞって、まずそこで一回エンジンをかけたんですね。自分のことばっかり言ってる場合じゃないのかなって言う現実を見たんです。だから、そのためにまず競技をやり切ろうって思いました。で、日本で11位という結果を得ました。

Q. 2015年で、終わったら辞めようかなと思ってたんですか? 

2015年で引退するって決めてたんです。スキーを、モーグルを。実際に、完全に1回辞めたんです。

Q. どうして辞めようと思ったんですか? 

15年走ってきた自分の経験を活かしたいと思ったんですよね。トレーナーの資格もあるから、トレーナーとして出来ることもできるだろうし…って。

Q. そして伝えていく活動を始められたんですね!?

でもやってるうちに「ぬるい」というか、自分の頑張りってこの程度だったかなあ…ってなっちゃったんです。私自身が一番やりたいことをやってる訳じゃないから、全然後輩たちにも言葉が伝わらないんですよね。

Q. どうして伝わらないって思うんですか?

私の中で手ごたえがないというか、どこか自分の中にぬるさがあるなって色々と気づいちゃったんです。気づいてしまったのが、先ほどお話した、本当に世界一を目指したのか、っていうことなんです。15年間の競技生活に中で、ちゃんと世界一を目指してその中の失敗談とかを語るならきっと届くんですよ。でも、ちゃんと目指してもいないのに、その失敗談を話しても、こんな風に成功しましたって話をしても大したことないじゃんって気づいちゃったんですよ。

Q. セミナーやトレーナーをされている時は運動はゼロですか!?笑

全くしなかったですね。もし万歩計をつけてたら、一日500歩もいかないんじゃないかっていうくらい引きこもってましたよ(笑) 「伝えるとはなんだ」、ってずっとパソコンと闘ってましたから。それはそれで、運動量はなかったけど充実はしていました。

Q. その間に、お仕事というか起業、会社もやられてますよね?それは今もやってるんですか?

はい、今も。以前はセミナー業も広げていくつもりだったのですが、まだまだ話せることがないなとわかったので、いまはトレーナー業に絞ってますね。

これからのこと

Q. 2016年からは目標をスーパークリアにしてますよね!?

そうですね。超オープンにしてますね!

 

Q. オープンにするのって勇気はいりましたか?先ほどのお話だと、日本をとるって言うだけで超勇気がいるというお話でしたが…

今回は、勇気が要るとか要らないとかいう問題では、もうなかったですね。自分の中の覚悟でした。覚悟があるか、ないか。

 

Q. 覚悟を決めるのに、なにかきっかけはありました?

看護師をやられてる知り合いの方がいて、その方は死期の近い人と対面する機会があるんですって。みんな亡くなる前に、もうちょっと美味しいものが食べたかったとか、海外旅行に行ってみたかったとか、後悔を口に出すんですって。その話を聞いた後に、自分のこと考えて「死ぬときに後悔したくないな」って思ったら簡単にオープンになりました。

Q. 新谷さんは、死ぬまでにやっときたいことは他にありますか?

お母さんになって自分のことを諦めちゃう人に向けたメッセージに「私自身がなりたい」ってのはありますね。それって形に見えないからわからないんですけど、そういう存在になりたいです。

Q. 例えばどんなことでしょうか?

時間もない、お金もない、と全てを諦めちゃう人とかもいると思うんです。でも、実はもうちょっと、このコーヒーを一杯我慢すればお花の教室に行けるかも知れない、とか可能性ってどっかにあるじゃないですか。諦めちゃったらその行動も出来ないと思うので、なんとかすれば出来ることってあるよっていうようなメッセージを発信出来たらなあって思っています。

Q. 「やりたいことがあるなら結婚しない方がいい」っていう意見もあると思います。例えば、新谷さんの場合、結婚していない方が、世界を目指すっていう目標には近いって思わないんですかっていう質問も出来ると思うんです。それに関しては、どう思いますか?結婚や子どもいることがゴールにプラスに働いてると思いますか?

めっちゃプラスですね。栄養っていう言葉でいつも片付けちゃうんですけど。2015年に成功したなっていうシーズンを送った時に、特に感じてたんです。子どもと家庭があることが栄養になりました。時間の使い方は、独身の方がそりゃあ自分のために使うことは増えますよね。実際、練習量も今の方が少ないですし、独身時代は8時間くらい色んなパターンの練習をして、今だったら一日2時間くらいなんですけど…。

Q. 4分の1ですか?!

ですね。でも、それでも2015年を区切りとすると、2015年の方が密です。2015年のほうが、自分の中で成功してるものが沢山、目標をクリアしてるものがいっぱいあるんですよ。それってやっぱり集中力のつき方は全然違うっていうのと、オンオフの切り替えがあるのかなって思います。オンオフって、どんなアスリートでも自分で意識してやるとは思うんですけど、お母さんになると、絶対にオンオフつけられるんですね。子どもに集中したいっていう自分もいるし、競技に集中したいっていう自分もいるし。どの自分も大事な自分というか。

Q. ママに専念した方がいいのかなって思ったりしませんか?

ないですね。そもそも、ストレスに目を向けないようにしてるっていうか。自分のやりたいことを我慢するってストレスになっちゃうし、ストレスになってる自分がいる、そんな自分が子育てする、子どもにもストレスが移るなぁって…。人って鏡みたいになることもあるから、それってやだよねって感じです。

お母さんて家の中の太陽だよねっていう人も沢山いると思うんですけど、そうありたいなって思う一方で、ただじゃあ太陽はいつも家の中にいることが正しいのかって言ったら、いや違うんじゃないとも思うんです。

でも、家のことをやったり、家事をやったり、片付けたりとか、そういうことが大好きな人もきっといると思うので、そういう人はそれで全然いいと思いますよ。でも、それをみんなに押し付けちゃだめだと思う。私は私のしたいことを。

スキーをしてる自分が好きだからまずそれをやりたいし、やっぱりトレーニングとかをした後とかの方が子供とめっちゃ遊べますしね。

伝えたいこと

Q. 仕事って、どういうのを仕事って言うと思いますか?どういう風に選んだらいいと思いますか?何を基準に仕事って選ぶのがいいと思いますか?

何になりたいのか、だと思います。目立ちたいのか、人のためになりたいのか、色んな選択の仕方あると思うんですけどね。勿論こんな人になりたいっていうのがあれば、きっと自ずと見えてくるんじゃないですか?そうじゃない人いとってはそれが難しいんですよね。そしたら、そこを探すことなのかな。

Q. やりたいことってどうやったら見つかると思いますか?

好きなものとかの感覚が重要かもしれませんね。選択肢が10個あって、どれが一番好きか?とか、そんな感じで選び続けていけば、自分の形が見えてくるのかなって思います。

Q. 選んで、そしてやるってことですよね?

選んでやってみて、選んでやってみて、ずっとその感じ?を繰り返していくことですね。私もやっています。

Q. 例えばどんなことですか?

例えば、練習でですね。見えないんですよ。今新しい技をやろうと思って作ってるんですけど、全体像が見えないんですよ。体の感覚がないから全体像が見えないからこの見えないものをずっと探ってて。そのうちのじゃあここのトレーニングのプロに聞いてみようっていう風にして選択してって、この人とは話の感覚があうからもうちょっと時間を使ってやってみようとかってどんどんやってくと、自分に合ったものになってきます。

Q. フィーリングを磨いていくってことですよね

そうです。それ!

セミナーの勉強をしてた時もすごい思ったんですよ。上手くプレゼンをしたいと思って、プレゼンの神様みたいな人がいて、その人のところに行ってみたんですよ。そしたら全然、自分と合わないんです。でもこの人の話を聞いたらいいよって周りの人全員が言うんです。やっぱりすごい人らしいんですけど、私には合わないって思って、あんまりいいものにならないんですね。いくら、この人が良い・有名だって言われてもそういう選び方じゃないんじゃないかなって思います。例えば、企業とかでも、ここに入っとけば自分は安定だよってとこを選ぶよりは、自分に合う・合わないのを基準に選ぶって大事かなって。面接官でも、人と話すのと同じように、こっち側もお前らを見てるぞみたいな感じの方がいいんじゃないかなって思ったりします。

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