いきぺでぃあ

「あんな風に生きたいな」という先生。




HONKI Universityが湘南ブログランキングに参加しました!
皆さんのクリック数がそのまま投票になります!ぜひポチッと応援お願いします
HONKI Universityを応援する
にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 湘南情報へ

記事はここから↓↓

「あんな風に生きたいな」という先生。

帰国&就職

71jvzbczpll

Q. 日本に帰った時のお話を、詳しくきかせてください

帰国した時、それこそ「日本をみてやろう。どんぐらいなの日本?」と偉そうな感じでした。「俺はアメリカを8年間みてきたぞ」みたいな鼻が高い雰囲気です。でもすぐへし折られるわけです。

国立のリハビリテーションの研究所には、僕の人生に影響力のある人がいました。その先生に「そんなの何にも通用しないよ。日本では日本、アメリカではアメリカでしょ」とその人に言われたのは効きました。日本に帰国してから、何か日本社会に不適応を起こした時期が、30歳の頃にありましたね。

Q. 社会不適応ですか?

国立の研究所だったんですが、非常勤でした。30になってもまだ非常勤、正規雇用じゃない。結婚もして子供も1人いるのに「なにやってんだ俺?」みたいになってたました(笑)。 日本を、やっぱりきちんと見えていなかったんだと思います。「日本を変えてやる」みたいなおごりがあって、でもそれがへし折られました。そこで、結構うまく適応できなくて、一時は「すべてやめよう、もう人間やめよう」と思うくらいやばかったときもありました。

Q. どうやって抜け出したんですか?

「俺はリハビリテーションを8年間勉強してきたのに、自分をリハできなくてどうするんだ」と奮い立たせました(笑)。 与えられた環境で最大限を尽くすしかないじゃないですか。出たとこ勝負でした。もう積み木みたいなものですね。「どんな形になるのかな」と四角、三角、丸とか積み上げていく。なんとなくのイメージはあっても、途中で崩れるかもしれない。でも崩れたらもう一回やり直せばいい。転んだらもう一回立って、歩き直せばいいだけの話でした。また「もっかいつくるわ」みたいな。リストラクチャリング。もう一回再構築して、もう一回ゼロからでもいい。「これが、リハビリか!」と身をもって本当に学びました。自分が不適応を起こしたら一番いけない領域の研究をしてきてたので、「まず自分をしっかりリハビリしなきゃな」と思いまいた。

Q. 研究所でのつらい時間を乗り越えた瞬間について教えて下さい。

今思うと、そんなにひどい体験じゃなかったのかもしれない。その頃はまだしっかり成長していなかったんでしょうね。そのときはもう結婚していたので、「一人じゃないぞ」という気持ちはありましたね。家族がいて、そういう姿をみている子どももいるとなると責任が伴ってくる。で、やっぱりフラフラできないな、悩んでいられないなと思いました。

僕はうまくやってきた訳では全然ないんです。大変で辛いこともありました。それをなんとか乗り越えられてきたのは、きっと今までいろんなレベルの挫折を味わってきて、何かを乗り越えてきた自分の実績とか、なんとか生きている自分をちっちゃいことでも信じてあげることができたからかもしれない。というか、自分に少し優しくできたからだと思います。そうしていくうちに「世の中そんなに悪いものじゃないな」と思いました。怒られているうちが華だなと思ったんですね。言ってくれるってありがたいことだなって、ある日ふと気がつきました。感謝に変わったんですね。怒りとか憤りとか、そういったものが「ありがとう」に変わったんです。それが乗り越えられるかなって思ったきっかけになりました。自分の中の変化です。人にも感謝したし、耐えた自分にも感謝したし。「それは感謝すべきことじゃん、何甘えてるんだ俺」と思った時の気づきは大事でした。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top