いきぺでぃあ

博士過程には進まない。大学職員としてオリンピックをサポートする。




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博士過程には進まない。大学職員としてオリンピックをサポートする。

大学院時代

Q.その後大学院に進むという選択をしたのはなぜですか?

一つ目の理由はやりたいことがぼやぼやしていたからです。二つ目の理由が、大学4年間で比重として柔道の方が大きかったので「もう少し勉強に比重を置いて、スポーツについて知りたいな」と思ったからです。

Q.大学院と大学で、環境は変わりましたか?

部活が強制参加から自由参加になったので、勉強できる時間が増えました。自分の研究や、先生とお話ししながら知見を聞いたり、学会の手伝いをさせてもらったりしました。

Q.結構環境が変わったのですね。

あとは、ベトナムのホーチミン大学に行って柔道の指導や、被災地支援をしました。大学の地域社会貢献プロジェクトとして少年柔道を見ているのですが、大学時代は月1回程度だったものが毎週見ることができるようになりました。「柔道を教える立場になる」という新しい見方を得て、学びが多い2年間でした。

Q.大学院では何を研究していたのですか?

大学・大学院は同じ研究室でそのまま上がりました、体育測定評価学というテーマの研究室で、データを集めて傾向を見るというところです。

Q.具体的にどんな研究室だったのですか?

平成24年から、武道が中学の男女必修になりました。剣道、柔道、相撲の中から、学校が選択します。しかし、「そんなことのできる先生は各学校にいるのかな」と気になりました。なので「柔道の評価も指導もできて、生徒が興味を持てる、安全な授業を作ろう!」みたいな研究しました。

Q.大学院を卒業した後の進路はどうやって決めましたか?

最初はドクターに行こうと思っていました。でも「私のしたいこととちょっと違うかもしれない。このままで研究室を上がれないな」と思いました。それからとても悩みました。でも、「そんな心持ちで行くべき場所じゃない」と思ったので受けませんでした。

Q.ドクターに行くことはすぐに諦めることができたのですか?

実際は、大学院の1年目から「先生がドクターに行く体で話をしているな」と先生からの圧というか、違和感がありました。「このまま先生に言われたことをやっていても、それが私のやりたいことかは分からない」と考え出したら、ちょっと違うな、と思うようになりました。

Q.自分の気持ちと選択しようとしていることに違和感を感じたのですね。

はい。でも、「違う」って思っちゃったらもう無理ですよね。笑

Q.決断したきっかけはありますか?

「やばい、もう受けなきゃいけない」みたいな時期が来たから、というのもありますね。結構「感情人間」なので、やりたかったら動いているような人間です。なのに、この時期になっても動いてないということは、行きたくないのではないかということに気付きました。

Q.誰かに相談はしたのですか?

そのことについて親とも相談して、「確かにあんたがそこまでして悩んでいて、動けてないってことは、違うかもしれないね」と言ってくれました。

Q.それからどうしたのですか?

「やべ、プー太郎だな」って思いました。「一年フリーターして、やりたいことを見極めるのもいいかなあ」と思いました。でも、スポーツのことから離れることが怖くなって、とりあえず「今からでもスポーツに携われる仕事ないかなー」って探しました。そんなときに、大学の研究員の公募を見つけました。

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