就職
Q.お仕事を始めたときどのように感じましたか?
最初は福島の山奥の南会津という地域が初任地でした。3年間農林事務所の総務係を担当しましたね。総務係なので、経理とか備品の管理とかをする仕事で面白いものではなかったです。
Q.英語を使う機会は少なかったのではないですか?
そうですね。やりたかったような国際的なことでもないし、自分の思い描いていた仕事ではなかったですね。目標を持つことが難しかった時期ではあります。でも、周りの人に恵まれ、社会人として働く心得ですとか、そういった大事なものを身につけられる重要な3年間でした。
Q.仕事をする前のイメージと、実際に公務員になってみて違ったことはありましたか?
ある程度世間の常識通りではあったかもしれません(笑)でも、中には本当に働きっぱなしの人なんかもいたりしました。公務員を一括りにするのはやはりできないと思いました。
Q.今のアクティブな藤井さんになる転機みたいなものってあったんですか!
転換期は、異動の時でした。たまたまあった教員の4割が外国の方という会津大学に異動させてもらえることになって。そこで、ようやく英語を使う企画系の仕事に携わることができるようになりました。外国の方たちと国際戦略を練れたりして、そこでモチベーションが一気に上がりました。
Q.公務員になってどれくらいの時ですか?
4年目ですね。そこから楽しくなってきました。
Q.会津大学では海外に行ったりすることもあったのですか?
アメリカで開かれる教育者の大会に、日本から福島大学と会津大学が呼ばれることがありました。自分はたまたま福島大学出身で、会津大学で働いていることもあり、連れて行ってもらえました。
Q.すごいご縁ですね。
そこで、パーティーとかに参加しながら海外の大学職員と積極的にコミュニケーションを取り、非常に有益な時間を過ごすことが出来ました。そして、「海外でも何か出来るかもしれない!」とう自信が芽生えてきました。
Q.そのあと海外に出たくなったりしたのですか?
そうなんです!(笑) それをきっかけに、世界をもっと見ようと思いました。今まで出来ないかもしれないなと思っていたことをやろうと思う機会になりました。そして、5か国を周りました。仕事ではなく、プライベートなのですが、アブダビとかスウェーデンとかギリシャとか。いろんな可能性に挑戦する自信がついてきたという感じです。
Q.自信ですか?
ようやく26、27歳で、ですが出てきました。学生時代は悩みばっかりでしたし。色々と取り組んできたつもりだったけど、自信は持てなくて。アメリカでの体験が大きかったですかね。そこに辿り着くには自分をアピールすることが必要だと学びました。アメリカに行きたいって、手を挙げて、行きたい気持ちをいろんな人に伝えておりましたので。
Q.福島県の職員でずっといようという感じですか?
正直いろんな葛藤はあります(笑)でも、原発の問題とかもあり、意識も変わってきました。
Q.原発の問題はいつごろの話ですか?
原発の問題は1年目の最後の最後です。自分がいたところは、原発から一番遠い所でしたけれど、おにぎりを運んだり、夜勤で寝ないで待機したりしていました。避難所にもよく行ったりしていました。
Q.福島県の職員総出で支援したのですね?
自分の持ち場の総務で働いていると福島県のために何かしているとは思えなかったけれど、この原発の問題と向き合って初めて福島のために働いていると思えました。県職員だからこそ被災地で出来ることが沢山あると感じました。この原発を機に会津大学で様々なイベントが行われるようになり、自分は何かを見つけることもできました。
LEAVE A REPLY