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悪い過去は、他の誰かを救うためにある

自分の悪い過去は、他の誰かを救うためにある

Arthurson, Devon

立教大学の英語の講師をされている、Devonさんにインタビューをしました。若い頃にアルコール依存症を経験されましたが、自分と正直に向き合う事で見事克服。逆に自身の辛い経験を、様々な人々を救うために使われています。そんなDevonさんに、日本の学生と向き合われる中で感じられることを伺いました。いつも自分のベストなバージョンを目指されているDevonさんが大切にされているのは、「自分をよく知って、1人でいることを恐れず、やりたいことをやる」ことでした。

 

高校時代

Q.高校生の頃は、どんな高校生でしたか?

カナダで高校生をしていたのですが、勉強はそれなりにできたけれど、勉強自体に興味はあまりなかったです。高校1年生の時の成績はまあまあで、2年生と3年生の時は少しずつ悪くなっていきました。

Q.成績が下がっていった理由は何かあったのですか?

7歳ぐらいの時からですが、家族と色々なことで考え方が異なっていて、ストレスがたまっていったんです。そして、15歳の時に過食症になりました。家族で喧嘩が多くて。さらに、お酒を飲むようになってしまいました。

Q.ストレスの発散はどのようにしてたんですか?

友達と遊ぶのが楽しかったです。学校が終わってからカフェに行ったり、友達の家に行って映画を観たりしていました。週末は、友達の家でパーティーをしたり。 パーティーは、お酒と音楽と映画で盛り上がるような感じで。10〜20人ぐらいが集まるようなものでした。

Q.高校生の頃は、「こんな風に生きたい」というようなビジョンみたいなものはありましたか? 

なかったですが、とにかく家族と街から離れたかったです。周りの友達たちは大学に行こうとしていましたけど、私は新しい生活がしたかったですね。

Q.進路選択をするとき、何か迷ったり不安になったりしたことはありましたか?

私の母も私には街を出て欲しいと思っていました。小さな街でしたが、ドラッグとか、暴力とかが多くて。高校を出たら、街を出るようにと言われていました。

Q.誰かに相談しましたか?

高校には進路カウンセラーがいましたが、私は相談しませんでした。

就職

Q.高校を卒業された後は、どうされましたか?

高校を出て、叔母のところへ行きました。住んでいた街から車で10時間ぐらいのところです。

Q.どんな生活をされていましたか?

最初に、チーズショップで働きました。その後色々な仕事を転々として、靴屋、アクセサリー販売、カフェテリア、テレマーケティング(電話販売)をやりました。

Q.どこに住んでいたんですか?

チーズショップで働いていた時は叔母のところに住んでいましたが、その後は引っ越しをしてアパートで一人暮らしをしていました。

Q.テレマーケティングの後はどうしたんですか?

20歳ぐらいの時にテレマーケティングを辞めて、専門学校に行こうと思いました。というのも、叔母の家から引っ越した後も、1カ月に2、3回は会っていて、彼女は昔秘書だったので、秘書になるのはどうかと言われたんです。

専門学校へ

Q.秘書ってどうやってなるんですか?

秘書の専門学校のような所に行きました。2年間の学校でしたが、おもしろかったです。授業は9時から15時ごろまででしたね。月曜日から金曜です。授業以外にも3カ月ぐらいのインターンを2回やりました。お祭りの事務所と車の保険会社でインターンをしました。

Q.授業料とかってどうされたんですか?

当時は、授業料をおばちゃんから貸してもらっていたんです。でも、卒業時に授業料は返さなくていいからって言われて。その代わり、もし誰か困っている人がいたら代わりに助けてあげてと言われました。

Q.専門学校に入って、生き方に関するビジョンは明確になりましたか?

将来のプランはありませんでした。秘書は少しの間だけやる仕事かなと思っていました。ただ、人生において便利なスキルを身につけたいとは思っていたんです。

Q.専門学校って、やりたいことを学びに行くイメージが強いのですが。

私にとっても、カナダの多くの人にとっても、長い人生において働く職種や内容を変えるのは普通なことだと思われています。とりあえず秘書のスキルを身につけておこうと思ったんです。 私のインターン先の人で、エンジニアをやっていた人が高校の先生になったりしていましたしね。

Q.なるほど。

働くフィールドを変えることはよくありますね。日本では高校の時に大きな決断をしないといけないですけどね。

再び就職

良いですね〜。秘書にはなられたんですか?

秘書にはなりました。最初はスポーツクラブの秘書、そして次はエンジニアの会社での秘書でした。レポートを書いたり、誰かのノートをタイプしたり、インボイスを作ったり。楽しい仕事でした。月曜日の9時から17時までで残業なしでしたね!(笑) この時は24歳ぐらいでした。

Q.良いお仕事だったんですね?

仕事は好きでしたが、5年もしたらつまらなくなるなと思いました。 そんなことを思っていた時にとても印象的なことがあったんです。

Q.どんなことですか?

この街にはホームレスや薬物依存症の人がたくさん住んでいたのですが、仕事中に見たホームレスの人の顔がもはや人間のような顔をしていなくて。自分もアルコール依存症でしたけど、いつかこのような人を救うようなことをしたいなと強く思いました。

Q.救うようなことですか?

はい。実際にすぐに、カウンセリングの仕事をしたいと思って、始めました。また、自分の通っていた教会でもホームレスの人のためのボランティア活動があったので、仕事の合間に毎日サンドイッチを朝と昼に配ったりしていました。

大学へ

Q.働きながらのすぐ行動ですか。凄いですね。

そして、翌年の25歳の時に福祉を勉強したいと思い、秘書の仕事を辞めて、大学に行きました。街には2つの大学があったのですが、福祉の学部があるのが片方の大学だけだったので、そちらにいきました。

Q.大学ではどんな感じだったんですか?

大学は興味のある授業だけを勉強していました。1年目は建築学、宗教学、原住民のこととか。自分の好きなことが少しずつクリアになっていきました。そして成績はとても良かったです。

Q.学費は自分で出したんですか?

はい、そうです。自分で学費を払っていたのも大きかったと思います。自分の100%を出せていました。

Q.専攻の福祉はどんな勉強をしたんですか?

2年目は専攻の福祉の勉強をしていたのですが、重い内容が多かったですね。カウンセリングや児童支援といったクラスが多く、とてもためにはなりました。

Q.でも、楽しくはなかった?

はい、自分の興味にベストマッチはしていなかったです。そして、3年生の時に素晴らしい先生と出会えて、コミュニティー・デベロップメントという学問があることを知りました。

Q.大学外での活動もされていましたか?

4年目の時に、教会の友達が紹介してくれたカナダ原住民の女の子たち(7歳—15歳ぐらい)のメンタープログラムに参加しました。カナダ原住民の若者の自殺がとても深刻で。1ヶ月に2回ぐらい会って話をしたり、家に来て一緒に何かをつくったり、原住民の文化を体験するようなイベントもありました。

Q.大学生のころ、進路についてどんなことを考えていましたか?

将来はコミュニティ・デペロップメント、政策に関わる仕事をしたいと思っていました。

Q.実際には、どうやって卒業後の進路を決めましたか?

大学4年生のときに、日本に旅行して、いつか日本に住みたいなと思ったんです。旅行したときに良い経験ができて、優しい人達にたくさん会えました。

Q.良い出会いがいっぱいあったんですね!

少ししてから、いつかではなく、すぐに日本に住みたいと思って、そのためにALTの仕事に申し込みをしました。ALTに受かって、友達がいた神奈川での勤務がよかったのですが、大阪になりました。

 

先生に

Q.大阪ではどうでしたか?

大阪で高校の先生になりました。この学校には5年半いました。英語教師の仕事でしたが、自分の興味のあるコミュニティ・デペロップメントのような仕事もしました。ALTの仕事もコミュニティ・デペロッパーのような感じでした。

Q.コミュニティ・デペロッパーですか?

はい。生徒や他の先生と信頼を築いて、子ども達にスキルを身につけさせて、だんだんと自分が理想とするコミュニティができていきました。コミュニティ・デペロップメントの知識があったので、すぐに色々なことが上手くいかないこともわかっていました。

Q.そうなんですね。

また、信頼関係を築く重要性やそれに、時間がかかることも分かっていたので。

Q.なるほど。心がけたこととかってあるんですか?

学校や生徒を変えることはできないので、自分自身を変えるようにしていました。日本は、学ぶことや教えることに対しての考え方が自分とはとても違いますからね。

Q.適応できるように、自分を変えていこうという事ですね?

はい。難しいけれど、自分を変えることは意味のあることだと思いましたね。生徒と先生の関係の違いも受けいれられるようになりました。日本では、生徒は受動的ですが、カナダではもっとアクティブなので。

Q.なぜ立教大学の講師になろうと思ったのですか?

いつか東京に住みたいとは昔から思っていました。 大阪での期間はトレーニングの時期だと思っていて。大阪の仕事を5年やって、もう少し違うことにもチャレンジしたいなと思ったんです。チャレンジが好きなんですよね。

Q.大学講師の方がチャレンジだったんですね。

そうですね。簡単なことは、あまり好きじゃなくて。どうしてかは分からないですが、自分の理想の姿はチャレンジする自分なので。

現在

Q.今はどんな生活をされていますか?

立教大学で英語ディスカッションの先生をやっています。生徒たちは優しくて、毎日楽しく仕事をしています。

Q.どんな授業をしているんですか?

私のクラスでは、8人で様々なトピックについて英語でディスカッションをしています。授業中は英語のみで、4つのレベルに生徒が分かれています。

Q.先生をしていて楽しいと思える瞬間はどのような時ですか?

一番楽しいことは、生徒達が「自分達でアクティビティーのやり方を決めていけるようになる」といったように、自信がついていくのを見れることです。

Q.それはなぜですか?

Autonomy(自主性)を育むのが教育の一番大切なことだと思っていて。先生がただ教えるのではなく、学び方についても生徒に考えさせることが必要だと思っているからです。私の最も興味があるのは精神的な学びで、英語の文法とかよりも、主体的に考えて、「生きること」を教えています。

今だから思うこと

Q.学生時代(高校・大学)は楽しかったですか? 

大学は楽しかったですね。高校はあまり楽しくなかったです。友達とは楽しかったけれど、勉強はあまり好きじゃなかったですね。

Q.学生時代(高校・大学)について、あのとき、もっとこうしていれば良かったと思うことはありますか?

大学はパーフェクトでした。高校はたくさんの辛いことがあった。でも、高校もなんとかやりきることができましたし、それで十分すぎると思っています。過去はチェンジできないので、あまり考えていないです。

Q.大学って、行った方が良いと思いますか?

人によってだと思います。ビジョンがはっきりしている人はいけば良いと思います。はっきりしていない人は、バイトをしたり、専門学校に行っても良いのかもしれないです。でも、日本のスタイルは私には合わない気がします。

Q.どういうことですか?

個人的な印象ですが、日本の高校生はあまり物事を深く考えていないところもあるのかなと。ちょっと子どもっぽいというか。先ずは、高校を卒業して、店とかカフェとかでバイトをして、基本的なスキルを身につけて(半年ぐらい)もいいのかな。

Q.なぜそう思うのですか?

あくまで自分の意見ですが、彼らは大きな決定をあまり自分でしていないと思うんです。親や先生と相談するけれど、自分自身での決定をしていないのかなと。

Q.何のために、学校の勉強をしているんだと思いますか?

基本的なスキル、人間関係を学ぶため、そして決める練習をしているんだと思います。先生や親がいつも決めて、生徒は何かを決めるチャンスをほとんど持つことができないですよね。私はそれを変えたいです。「決める」という力を。パワーをシェアしたいです。

Q.学生時代に、やりたいことが決まっていた方が良いと思いますか?

人によってですね。22、23歳ぐらいでちょっとでもクリアならいいと思います。私はそのぐらいのときは何もありませんでしたけどね。

Q.仕事ってなんですか?

自分自身の延長にあるもので、自分が大事だと思うことが仕事にも現れているべきです。私は自主性(自分らしさ)が人生の鍵だとおもっていて、友人との関係にも仕事にも、この軸が表現出来る人生が素晴らしいと思います。

Q.どうやったらやりたいことって見つかるんだと思いますか?

いい人を見つけることでしょうか。インスピレーションを与えてくれて、自分の才能や自分自身の考え方を引き出してくれるような。そして、他の人が自分をどう思うかではなく、自分との関係が一番大事で、自分をよく知れたら何でもできると思います。自分の生き方や姿勢は自分の選択ですからね。

これからのこと・伝えたいこと

Q.これからのビジョンみたいなものはありますか?

今後の理想の状況は、いつもチャレンジしていたいということです。これからの仕事で何をしたいかはわからないです。あと5年ぐらいは英語の先生でいいですが、そのあとは福祉とかNPOとかホームレスに関わる仕事をしたいです。

Q.これから進路を考えていこうとしている高校生や大学生に、 もし何か伝えたいことがあったらお願いします。

自分が一番大事。自分をよく知って、1人でいることを恐れないで、やりたいことをやってみてください。みんながいつも自分をサポートしてくれる必要はありませんし。経験してみて、どうして何かが良かったとか、良くなかったのかと考えることが大事です。

Q.ありがとうございます。他にはありますか?

あと、悪かった過去を色々と判断したり分析をする必要はありません。その経験は、他の誰かを助けるために使えますからね。辛かったり、嫌だったり、悪いような過去があるからこそ、出来ることもあり、助けられる人もたくさんいますから。

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