大学へ
Q.働きながらのすぐ行動ですか。凄いですね。
そして、翌年の25歳の時に福祉を勉強したいと思い、秘書の仕事を辞めて、大学に行きました。街には2つの大学があったのですが、福祉の学部があるのが片方の大学だけだったので、そちらにいきました。
Q.大学ではどんな感じだったんですか?
大学は興味のある授業だけを勉強していました。1年目は建築学、宗教学、原住民のこととか。自分の好きなことが少しずつクリアになっていきました。そして成績はとても良かったです。
Q.学費は自分で出したんですか?
はい、そうです。自分で学費を払っていたのも大きかったと思います。自分の100%を出せていました。
Q.専攻の福祉はどんな勉強をしたんですか?
2年目は専攻の福祉の勉強をしていたのですが、重い内容が多かったですね。カウンセリングや児童支援といったクラスが多く、とてもためにはなりました。
Q.でも、楽しくはなかった?
はい、自分の興味にベストマッチはしていなかったです。そして、3年生の時に素晴らしい先生と出会えて、コミュニティー・デベロップメントという学問があることを知りました。
Q.大学外での活動もされていましたか?
4年目の時に、教会の友達が紹介してくれたカナダ原住民の女の子たち(7歳—15歳ぐらい)のメンタープログラムに参加しました。カナダ原住民の若者の自殺がとても深刻で。1ヶ月に2回ぐらい会って話をしたり、家に来て一緒に何かをつくったり、原住民の文化を体験するようなイベントもありました。
Q.大学生のころ、進路についてどんなことを考えていましたか?
将来はコミュニティ・デペロップメント、政策に関わる仕事をしたいと思っていました。
Q.実際には、どうやって卒業後の進路を決めましたか?
大学4年生のときに、日本に旅行して、いつか日本に住みたいなと思ったんです。旅行したときに良い経験ができて、優しい人達にたくさん会えました。
Q.良い出会いがいっぱいあったんですね!
少ししてから、いつかではなく、すぐに日本に住みたいと思って、そのためにALTの仕事に申し込みをしました。ALTに受かって、友達がいた神奈川での勤務がよかったのですが、大阪になりました。
先生に
Q.大阪ではどうでしたか?
大阪で高校の先生になりました。この学校には5年半いました。英語教師の仕事でしたが、自分の興味のあるコミュニティ・デペロップメントのような仕事もしました。ALTの仕事もコミュニティ・デペロッパーのような感じでした。
Q.コミュニティ・デペロッパーですか?
はい。生徒や他の先生と信頼を築いて、子ども達にスキルを身につけさせて、だんだんと自分が理想とするコミュニティができていきました。コミュニティ・デペロップメントの知識があったので、すぐに色々なことが上手くいかないこともわかっていました。
Q.そうなんですね。
また、信頼関係を築く重要性やそれに、時間がかかることも分かっていたので。
Q.なるほど。心がけたこととかってあるんですか?
学校や生徒を変えることはできないので、自分自身を変えるようにしていました。日本は、学ぶことや教えることに対しての考え方が自分とはとても違いますからね。
Q.適応できるように、自分を変えていこうという事ですね?
はい。難しいけれど、自分を変えることは意味のあることだと思いましたね。生徒と先生の関係の違いも受けいれられるようになりました。日本では、生徒は受動的ですが、カナダではもっとアクティブなので。
Q.なぜ立教大学の講師になろうと思ったのですか?
いつか東京に住みたいとは昔から思っていました。 大阪での期間はトレーニングの時期だと思っていて。大阪の仕事を5年やって、もう少し違うことにもチャレンジしたいなと思ったんです。チャレンジが好きなんですよね。
Q.大学講師の方がチャレンジだったんですね。
そうですね。簡単なことは、あまり好きじゃなくて。どうしてかは分からないですが、自分の理想の姿はチャレンジする自分なので。
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