いきぺでぃあ

気づいたら四半世紀も経ってます




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今回は私の仕事についてです。

私は現在、市内の小学校で支援級の介助員をしています。

小学生の子どもたちと関わる仕事は前職の学童保育指導員を含めると26年目になります。

これは私のライフワークといえるでしょう。

これほど長く続けていられるのは、私自身がやりがいを感じているのは勿論のこと。

それ以上に子どもたち、保護者、教職員、同僚、周りの人たちのおかげです。

ブログを書く機会を頂いたので、仕事の原点になった26年前を振り返り

また、今の私が思うことをお伝えします

概要
1. 学童保育の仕事
2. 小学校で介助員
3.まとめ

1. 学童保育の仕事

私の三男が小学三年生にあがる年でした。

同じクラスの保護者の方に「学童保育で働きませんか?」と声をかけられました。

学童保育……漠然と保護者が就労で留守番が心配な子どもたちを預かる所という認識でした。

児童福祉法での正式名称は放課後児童健全育成事業。

放課後、長期休暇中、保護者に代わり、適切な遊びや生活の場を与える。

そこで働く職員が学童保育指導員と呼ばれることを初めて知りました。

子どもたちに受け入れてもらえるか不安を抱えたまま、初日を迎えました。

学校から帰ってきた子どもたちは私を見て、「だあれ?」と尋ねてきます。

自己紹介をすると、子どもたちから「イッシーでいいんじゃない!」とニックネームを授かりました。

まずはホッとしましたが、肝心の指導員の仕事はどうでしょう?

複数人、異学年の子どもたちとどう関わる?

適切な遊び…小学生を相手に何をして遊ぶ?心配は無用でした。

子どもたちの方から「かくれんぼしようよ」「ドッジボールやろう」と声がかかります。

生活の場…家庭のように学校から帰ってきたら、子どもたちの「ただいま」に私たち指導員は

「おかえりなさい」子どもたちの様子を見ながら、宿題をみたり、おやつを提供します。

我が子にはここまでしても遊び相手をすることは少なくなっています。

でも学童の子どもたちと過ごしていくうちに、一緒に遊ぶことが楽しくなってきた私がいました。

時には「ババア」「うざい」などの暴言あり。

初めは悩みましたが、次第に今日は嫌なことがあったのかな?と考えるようになりました。

友達と遊びたいのに学童に行かなければいけない。

休み時間にケンカして仲裁してもらったが納得できてないままなど、きっと理由はさまざまで

子どもたちはいつも喜んで学童に通ってくるのではないと気づきます。

子どもたちの背景に抱えているものを考えた時

学童保育が子どもたちにとって居心地のいい場所と思ってもらうには、どうしたらいいか悩みます。

それはひとりでは出来ません。

一緒に働く指導員は勿論ですが、主役である子どもたちを巻き込んで創り上げていくものだと思います。

長い年月、そのような思いで仕事をさせていただきました。

でも、私の方が子どもたちから沢山のパワーをもらっていたんです。

最初に関わった子どもたち、今は30代から40歳手前かと思います。

みんな元気に過ごしてるでしょうか。

私のことは覚えてないと思いますが、私は時々あの頃を思い出します。

自己都合で学童保育の仕事から離れました。

介護職に関心を持ち、ヘルパーの資格を取得して、ディサービスに勤めてみたもの、

私には合わないとすぐに辞めてしまいました。

改めて、学童保育時代に子どもたちから、沢山のパワーをもらっていたんだと実感。

やはり、私は子どもたちと関わりたいと思いました。

そんな時に学童指導員の先輩から、長期休暇の間だけ

手伝ってほしいと声がかかり復帰することになります。

そして、以前から興味ある介助員の仕事にもチャレンジしたいと思い応募しました。

2. 小学校での介助員

初めて配属された小学校はには12年間お世話になりました。

小学校の印象は!

先生方がお若いです。まさかのタブレット学習、時の流れを感じました。

そして、嬉しかったのは給食です。

まさかのまさか、この年齢になってから給食がいただけるとは思いませんでした。

メニューも豊富で美味しい。夏休み中などは給食のありがたみをすごく感じてしまいます。

介助員勤務1年目は情緒級、知的級が1クラスずつ。介助員は私を含めふたりでした。

子どもたちも少人数で支援級全体が穏やかで温かく感じました。

主任の先生も支援級をより良くしたいと子どもたちを熱心に指導されていました。

介助員の私にも子どもたちに関わる際の注意点、

交流の目当てをとてもわかりやすく教えてくださいました。

12年間の思い出はいろいろあります。子どもたちと宿泊したこと、運動会、音楽会、校外学習。

コロナ前は入学式、卒業式にも列席させていただきました。

それぞれの行事で頑張る子どもたちに何度も感動。

卒業していく子どもたちの姿には嬉し涙も出てしまいます。

ある日、卒業した男子児童と買い物先で偶然、再会した時に彼の方から

「石田先生ですよね!僕のことわかりますか?◯◯◯◯です」

私は「勿論、わかります。会えて嬉しいですよ」と伝えると、

彼は「石田先生はまだ◯◯小学校にいらしゃるんですか?」と敬語で尋ねてきて、

「います」と答えると「頑張ってください」と激励されてしまいました。

彼の更なる成長と私を覚えていたことに感激です。

介助員の仕事はいつも結果が良いわけでもなく、うまくいかない方が多くて落ち込むこともあります。

でも、手応えを感じた時は嬉しく、また頑張ろうと思えるのです。

そして、子どもと関わる学童保育指導員も小学校の介助員も本質は同じではないかと感じます。

また、こんなに長い間、私が続けていられるのは

周りの人たちにたくさん支えていただいているからです。

さて、12年を経ての異動先は私の子どもたちが卒業した小学校でした。

しかも、校長先生は二男が1、2年生の時、

お世話になった担任です。不思議なご縁いただきました。

こちらの支援級には多国籍の児童も在籍していて、コミュニケーションが取りづらい状況になることも少なくないです。

ちょうど、同じタイミングでホンキの活動に参加するようになり、

改めてインクルーシブ教育について意識することができました。

相変わらず、悩むことばかりですが、子どもたちの気持ちに寄り添うことを心がけて、関係を築いていきたいと思います。

3.まとめ

今思うと、私の人生は素敵なご縁に恵まれていたのです。

やりがいのある仕事、HONKI University との出会いもです。

私はこのご縁で繋がった人たちとの関わりをこれからも大切にしたいと思います。

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