プロスキーヤー
Q. 梅原さんの場合は、迷いなく進んだということですか?
私は大学でもトップ、日本全体でもトップ5くらいには常にいたので、大学3年生の時に就職先が決まっていました。声をかけていただいた秋田の企業にスキーで就職しました。
Q. 会社でも働くことがあったんですか?
その時の私の契約は働かなくて良い、完全なプロでした。国体があるのでそこに向けて選手を集めるんです。
他の県から呼んで、「うちの企業に入ってください」って。国体要員で秋田県に呼ばれました。
Q. 大学卒業後にプロになられたということですか?
一応プロですね。
Q. 「一応プロ」の段階を経た上でプロになるんですか?
一応オリンピック種目のスポーツってアマチュアなんです。今はスポンサーさんから契約金を頂いているので、プロスキーヤーって言えてますがなかなか難しいんです。プロじゃ無い期間もあります。アルバイトだけをしていたり、アルバイトして活動費稼いで、貧乏生活していた時もあるので、その時は完全にプロとは言えないですね。
Q. 今はスポンサーさんがいて、かつかつなバイトはしてないんですか?
していません。2年前にスポンサーさんがついてくださったので、ギリギリの活動費は工面できるようになりました。世界のトップに行くには週5バイトをして、それから練習だと、体力もやった分だけプラスになっていかないんです。練習したら休む時間も必ず取らないと、オーバーワークになるので、成長していかないんです。
Q. 休む暇がないと厳しいですよね。。。
私はやってもそれだけフィジカルが上がっていない。一方他の世界チャピオンは365日スキーのために過ごしています。私は週5日もバイトして片手間にトレーニングをする。そんなの無理に決まっているし、それでメダルを取りたいというのも失礼じゃないですか。
私だったら、「いや、何言ってるの。そんなんじゃ勝てるわけ無いでしょ」って思うし、実際結構難しいと思いました。今は活動費だけギリギリ工面できて、普段の生活を少し質素にすれば活動はできるようになったので、仕事はしていません。平昌が最後かなと思っているので、去年から、あと3年練習だけに集中をしていこうと思っています。
Q. いつ頃スキークロスに転向したんですか?
秋田の企業で2年お世話になっていて、それが終わってもう1年アルペンをやっていました。でも思う様に成績が出なくて。日本のトップ5くらいにいましたが、世界から見たら日本でこの種目でトップ5にいても結構厳しいんですよね。
私が18、19なら別ですが、24歳。引退も考えてた時に、スキークロスの先輩に声をかけられたんです。「アルペンの練習にもなるからやってみなよ」と言われてやってみたら面白くて。すぐに転向しました。
Q. 競技を転向することは大きな決断のように感じられるのですが、スキー界としてはあまりないことなんですか?
日本人ではあまりいません。私も含めて、過剰にアルペンに固執していて、変なプライドがあったと思います。「あと1年必死でやって引退するので、スキークロスとかやらないです!」って感じだったんです。やってみたら、全く出来なかったんですよ。
アルペンで負けたことはなかった先輩に、スキークロスでは全然歯が立たなくて。スキーヤーという大きな枠でみたら、自分は全然レベルが高くないと思って。「もっと上手くなりたい、こんなに大きい世界の中のこんな小さいところにいたんだ」と気づいて、スキークロスを始めました。
引退したくなかったこともあります。プレーヤーとしてスキー業界に携わっていたいという気持ちがありつつも、現実を見ていました。そんな時そういうハッとした出来事がありました。上を目指したいっていう風に。
Q. 結構即決だったんですか?
即決です。寝て起きたら、「あ、やっぱやろ〜」みたいな。
Q. 「スキークロスも結構いけるんじゃない?」という勝機はあったんですか?
やりたい気持ちがあったし、多分いけると思っていました。
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