
楽しい扉があればどこでも入れ!
永尾 三奈
ファイナンシャルプランナーとして働く素敵なママ永尾さんにインタビューしました。「3人産める世の中を実現するために、ライフプランニングを通して日本を元気にする」をモットーに活動されています。やりたいことが明確だったのになぜ「道から外れてしまった」のか、多くの転職の経験からの人生観をお聞きしました。たくさんの寄り道の人生から生まれた哲学は「過去の経験や学びはすべて現在の自分に繋がっている。」
高校時代
Q. 高校生のころはどんな学生でしたか?
すれた高校生だった気がします。全然しっかりしていませんでした。高2の時には専門学校に行くと決めていたので、いわゆる受験勉強はしていません。専門に決めたきっかけは、もともと美大に行きたかったのですが、親に絵では食べていけないよと言われて。それじゃあと思って専門学校を探していた時にたまたまオープンキャンパスに行って、ここにしようと決めました。
他の学校の情報は一切見ずに。自分のやりたいことがありそうだと感じたんです。雑貨ビジネス専攻で、雑貨店をオープンしたり、雑貨を作ったりするようなことを目指す学校でした。早いうちに推薦で決まり、高3の夏には行くことが決まっていました。
Q 高校生の時、悩んだこととかってありましたか?
刺激がなかったですね。九州の中ではまあまあ栄えた方かもしれませんが、都会ではなかったですね。ずっと地元にいたいとは思っていませんでした。
Q.高校生の頃は、「こんな風に生きたい」というようなビジョンみたいなものはありましたか?
高校生の時は雑貨屋を開きたいと思っていて、そのために何をしようかと考えていました。雑貨をデザインする人になりたかったんですよね。マグカップとか。
どうすればそうなれるかは考えてはいたけれど、でも全然明確でなくて。
Q.進路選択をするとき、何か迷ったり不安になったりしたことはありましたか?
雑貨屋さんを開きたいけど、どうすればいいか分からない。高校の時は、単純に専門学校に行けば雑貨屋さんになれると思っていましたね。
親や学校の先生にも、うまく伝えられていなかったのかもしれません。こうすれば良いよというアドバイスなどもなくて。今思うと、選択肢としては美大だけでなく工業系でも良かった気がします。プロダクトデザイナーを目指すようなところに。その時はあまり情報を持っていなくて、そういう職業に分類されること自体も分かっていませんでした。
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