学生生活〜就職
Q.ちょっとずつ体力がついてきてからは、どんな毎日を送られていたんですか?
大検の資格をとって、その後に福岡の専門学校に通いました。その専門学校が、短大の資格をとれる上に、ビジネススキルも学べて、さらに大学編入もできるという専門学校だったんです。短大の資格を取って大学編入に進んだので、入院生活でのロスも埋められました。 大学には3年次からいきました。
Q.専門学校には、どれくらい在籍されたんですか?
2年間です。
Q.どうでしたか?
めちゃくちゃ楽しかったですよ。専門学校では、実際にビジネス界で活躍する先生たちが教えに来てくれるので、ビジネスや経済にとても興味を持ちました。興味を持てば、先生方が色々と教えてくださる環境だったのも、とても良かったです。
Q.その後の大学はどうでしたか?
大学は3年からだったので、入った時から専門的なことが学べました。また、ちょうどそのときに、命を蔑ろにするような事件が立て続けにあったんですよ。そこで私は、「命は大切なんだ」ということを純粋に伝えたいと思い、福岡の小中学校をまわる劇団を作って巡業しました。
Q.金生さん自身で、劇団を作ったんですか?
はい。大学に交渉して、『こうちゃんのあさがお』という本を題材に、脚本も書いてもらいました。「劇団モラトリアム」というのですが、それでいろんな小学校や中学校に交渉しに行きました。
Q.仲間はどうやって集まったんですか?
まずは大学のいろんなゼミを回って募集をかけたり、あとは就活のセミナーもやっていたので、そこの仲間にも声かけたりしました。後は、そこからの紹介で広がっていった気がします。学生がやると、特にテレビ局や新聞が取材に来るので、それがまた話題になって仲間が増えました。
Q.大学に入って、それまでイメージしていた大学像と相違点はありましたか?
本当はもっと和気藹々とやりたかったですね。知っている子は少なかったので、新しい友達を作りましたが、一緒にワイワイお祭りをやるような関係ではありませんでした。
Q.実際は、がっつり劇団をやったりされたんですね?
劇団は伝える手段としてやっていたので、手法のひとつでしたね。ですが、もっと自大学の仲間が欲しかったです。他大学の仲間の方が逆に多くなっちゃって。
Q.大学の先生と専門学校の先生で、違いはありましたか?
専門学校の先生の方が面白かったですよ。(笑)大学の先生はすごい優しかったですね。専門の先生たちの方が、生きた学びを教えてくれたと思います。10代の何も知らない時期に、社会の仕組みについて学べました。
Q.大学後の進路はどうされたんですか?
OGのお姉さんに、「東京と福岡じゃ、人・物・金・人脈が100倍違うよ。まず東京に行きな」って言われました。その一言で「はい、わかりました、行きます!」って。(笑) 東京で自分のやりたいことができる会社を調べたら、それが楽天だったので、楽天に行きました。
Q.会社を選ぶ基準は、どんなところにありましたか?
私は、元々ベンチャー企業にしようと思っていました。当時は、物事の全体を動かす仕事に就きたかったんです。
Q.全体の運営に携わりたかったんですね。
私は、いつか独立したいと思っていたんです。楽天の説明会に行った時に、担当のお姉さんが「でも私、ちょっと今度小料理屋やるから会社辞めるんですよ、はは」みたいなことを言うんですよ。ここは、その人の夢を応援する場所なんだと思って、楽天に決めました。
Q.楽天を選ばれたのは、その女性の言葉がきっかけですか?
それも1つなのですが、もともとは入院した時の経験が大きいんです。昔って、病院の売店には包帯くらいしかなくて、お洒落なものは全く無いんですよ。でも、楽天市場の機械が病院にセットしてあったら、色んなものが病院で買えるから、いいなって。それを言いに行くためにも、楽天がいいなと思ったんです。
Q.金生さんは就活の際、ご自身の病気については隠さなかったんですか?
はい。私は病気の時のことも売っていたので。新聞やテレビにも、病気だった学生の時のことが載っているんですよ。だから、「こんな活動してきました」っていうのをアピールして、病気を逆手にとりました。
Q.楽天で働き始めの頃は、どんな生活でしたか?
とても厳しくて、毎日毎日泣いていました。(笑)1年目の壁は、営業という仕事には終わりがないという現実でした。営業には、最低限ノルマがあって、それを達成しなきゃいけないんですけど、月が変わる毎にリセットされるんです。
Q.そうですよね。
1回上司面談があった時に、「ノルマを達成してから、どこまで上積みするかが評価の基準になる」と言われて、ショックを受けたのを覚えています。結局楽天には1年半いました。
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