大学時代
Q.進んだ先はどうでしたか?
すごく自由で、いろんなバックグラウンドの子が私のクラスにはいました。友達から刺激を受けることが多かったです。それと、ゼミの先生が本当にすばらしい人でした。
Q.どんな先生だったんですか?
法律家の先生だったんですけど、ゼミでもなんでも自分が選んだトピックを深めなさい、というのがその先生のメッセージでした。自分が興味があったのは教育だったので、法律の先生なんですけど、「教育なら教育をやりなさい」と言ってくれました。
Q.それから教育の勉強を始めたんですね。
はい。教育関係の授業に出て論文を書いてみたいなことをずっとやっていました。でも、もっと学びたいと思って、教育専攻に変えて教員免許を取って、という感じでした。何でもやりたいことを学術的に深めていくという経験を与えてもらえたことが、ライフチェンジングなきっかけだったし、素晴らしい経験になりました。
Q.ゼミの先生に言われたことで印象に残っていることはありますか?
先生は、私が自分のことを信じてる以上に私のことを信じてくれる人でした。進路について考えていた時に「もっと真剣に自分の可能性に向き合いなさい」と言われました。この言葉を言ってもらって、自分を信じて、この言葉を信じて色々と苦手だと思っていたことを始めることができました。世界が広がっていくようになりました。
Q.どんな生活を送っていましたか?
ボディーボードを真剣にやっていたので、朝ボディボードをやってそのまま学校に行って授業を受けていました。編入生+教職課程を取っていたので、1~6限マックスで全部フル単以上でしたね。しかも編入生なので取りたい授業があってもリミットがあって教員になる授業しか取れかったので、もっと授業を取らせてくださいとか言いに行っていました。
Q.大学では勉強とボディーボードがメインだったということですね。
ボランティアもしていて、在日の外国人の方に日本語を教えていました。でも大学が四谷になってからはその活動ができなくなってしまったので、兄と一緒に地域の人に英語を教える活動を始めました。
Q.英語のボランティアは立ち上げるというような形だったんですか?
最初は自分たちで無料で英語を教えます、という張り紙をしたり、広報や生涯活動の本みたいなものに載せてもらったりもしていました。そこから老人クラブなどから声がかかったりして広がっていきました。
Q.すごく悩んだこととかはありましたか?
論文を書いている時「支援」についてはすごく考えました。支援するって上からの一方的なものになりやすい例がたくさんあって、自己満足とか綺麗事とかと教育的にも、哲学的にも色々言われたり深められている部分があるんですよね。で、結局「支援」っていうのを通して自分が何をやりたいのかは悩みました。
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